10月24日は国連記念日だ。わたしが日本にいた頃は、メディアもわたし自身もほとんど気にせずに過ごしていたけれど、1986年に曲がりなりにもアメリカの信託統治領から独立して、1990年に国連に加盟するずーっと前から、この日は休日になっていた。
ヤップ島では、この日に何かしらイベントのようなものをやる習慣が90年代後半頃まであった。元はといえば、国連記念日にやっていたイベントと3月にやっていたイベントが統合されて、現在では毎年3月1日に開催されている
ヤップデイとなったようだ。
ヤップ島の伝統文化を一同に集めて展示する催しが
ヤップデイとなってからは、国連記念日にはスポーツ大会のようなものが行われていた。が、それもいつの間にか立ち消えになり、ここ数年、国連記念日はただの休日になっていた。
そこでヤップのNPO、トラディッショナル・ナビゲーション・ソサエティ(TNS)が起動力となり、今年は振り替え休日となる国連記念日の前日(10月23日)から今日(24日)を挟んで明日まで、ヤップで初めての
カヌー・フェスティバルを開催することになった。ヤップ島とヤップ州の他の島々に伝わるカヌー航海術を保存・普及させ、島の観光誘致にも貢献しようという構想なのだが、まあ、ある文化がこのようにショー・ケースに入り始めると(または見世物になり始めると)その文化は似て非なるものになるわけで...というのは、さておいて、3日に及ぶカヌー・フェスティバルの会場のど真ん中にうちの桟橋が入れられており、身の回りもてんやわんやになってしまっっている。
7月頃から、TNSより寄付を募る文書がまわってきたのだけど、〇〇競争に△百ドル、〇〇展示に▽百ドルと、総額2万ドル以上に及ぶカンパ募集なので、かな~り引いていた。それだもんだから、うちのボートが(全期間ではないけれど)空いているのを確認してから、9月も後半になってお金じゃなくボートの提供を申し出た。
それで昨日はどうなることやらと、ボートを送り出した後は
G嬢とふたりで店の中にこもっていたのだけど、とくに初日は子供参加のレースも多かったせいか、子供や若い世代を中心にかなりの人(ほとんどローカル)が繰り出していた。左上の写真は、レースの合間に器用に小さなカヌー(ノノゥ、
Nonoew)を操る子供たち。
すぐ近くのコミュニティーセンターで行われた開会式には行かなかったけれど、ヤップ州警察のパレード(行進)が通っていった。そういえば
今年のヤップデイでもオマワリさんの行進やってたなあ。いったい誰の発案でこんなもんまでやり始めたのだろう?この日の行進のために、オマワリさんたちは何回かコミュニティ・センターに集まって練習していた。ヤップデイのときは腰につけた短銃だけだったけど、なんと今回は、みんな長身の銃を持っていた。これだけたくさんのライフル(?)銃がヤップ州警察にあったなんて驚きだけど、まさか、空気銃ってことはないよね?(笑)
大小あわせて10隻近いカヌーが、うちの桟橋と隣のダイビング・サービスの桟橋に集合したのだけど、なんと、朝から風もなくまったりとした良い日和となり、問題は
カヌーは風がないと動けませんってことで...
急遽、翌日や翌々日のプログラムを前倒しで進めながら、風がないとどうしようもないものを後回しにして、なんとか1日が終わったようだ。
昼間の部は午後5時すぎには一応お開きになり、午後7時から同じくコミュニティーセンターで、決勝が終わったレースの優勝者発表と表彰式が行われた。わたしはその間に一度家に戻って水浴びし夕飯をかっ込んで、再出動。午後8時から女の踊りがあるという。
まず、この夜の部の発想がわたにしは全く理解ができないのだけれど、そのことはいずれまた書くつもりだ。この踊り手たちは、
今年のヤップデイにも同じ踊りを出していた、ンガリィ村の女たち。
珍しい踊りが復活したときには大きなコミュニティ・センターが満杯以上になったこともあるけれど、この日の人手はまばらだった。
本日のカヌー・フェスティバル第2日目は、また明日に。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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