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ミクロネシアの小さな島・ヤップより

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ヤップ島の土器

昨夜、半分眠りながら書いてアップしたと思っていた記事が、どこかに消えてました。今夜もかなり眠いのだけど、書き直し...ます。

パソコンの中に散らばってた古い写真を整理していたら、いまは無きベチヤル村の大きな集会場(ぺバイ)に置いてあった、ヤップの土器の写真が出てきた。
ヤップ島の土器_a0043520_19255820.jpg
2004年4月の台風で、集会場の建物が傾いてからも、この壺はしばらくそのまま元の場所に置いてあった。どうするんだろうと思いながら傾いた集会場でもときどき訪れていたら、建物の状態はそれからもっと悪化し、どんどん朽ち果て中に入るのも危険になってしまった。その後は、壺の行方を知らない。今では建物の柱は全部取り除かれ、新たな建て替えを待っている。

ヤップの人たちは、2000年も前から土器をつくっていたという。正確には、土器を作る技術と習慣を持った人たち=原ヤップ人が、アジアのどこからか移住してきたらしい。その後、ヤップ島の風土や目的にあった改良も加えられながら土器作りは続いていたが、近年になって、日本統治時代に鉄製の鍋釜がどんどん入るにつれて、土器づくりは急激に廃れたという。

それでも10年くらい前までは、まだ作る技術を持った人が残っていたが、現在はもうひとりもおられない。壊れやすい土器そのものも、びっくりするくらい残っていない。もともとヤップの土器は、使い捨て感覚で新調していたように聞いてもいる。現在28歳になる人が子供時代の思い出話:おじいちゃんの部屋にはたくさんの壺があってね、中には自分が入れるくらい大きいのもあったので、かくれんぼのときによく隠れていたのだけど、ある日、キョウダイたちと走り回っているときに、それを蹴飛ばして壊しちゃったのよ。

土器を作っていたのは、ヤップ島の中でも限られた村の人たちだった。それは今の日本の流行り言葉で言えば、「負け組」の村、わたしは「ヤップ縄文人」とも言ってみたりしてるけど(ちょっと違うかな?)、そういう村の人たちが、せっせと土器を作って、上位の村(「勝ち組」)に献上していた。アメリカの時代になって、そういうシステムが急激に破壊されたことも、土器づくりが一気に廃れたのと大いに関係ありそうだ。日本では誤解されまくっているヤップの村のランキングの話を始めるとすごく長くなるので...今回は話を土器に戻して...

生活の中で少しでも現役の土器を体験している世代は、今では70歳以上になっている。ときどき思い出したように、土鍋で炊いた芋は最高だったなあ、とか、収穫したギンガンの実を土器の壺に入れていたもんだとか、ポロッと口にすることがある。ああ、わたしも食べたかったな、土鍋で炊いたイモ!

ヤップで最後の土器づくり継承者のおばあさんから、その作り方を調査・記録された、国立民族学博物館・印東道子先生の研究の一部を、偶然ネットで見つけたので、ヤップの土器の特徴について、一部を下にコピペしておく:
1)粘性の高い粘土しか利用できないのにもかかわらず、砂を混ぜるなど粘性を下げる努力をしない。
2)土器の成形過程に 2週間以上をかける。
3)3~4 ヶ月という非常に長期間の乾燥期間を設ける
4)焼成直前に土器の内外面を濡らすことで、土器を予熱せずにいきなり 600度以上の火の上に置いても割れない工夫をしている。
5)このときに内外面から発する水蒸気の圧力が土器の器壁内に層状の間隙を生じる。
6)完成した土器は、砂が混入されていないため、強度が高く、熱衝撃にも強い。
詳しくはこちらをどうぞ:
http://www.aa.tufs.ac.jp/project/monoken_20081025_01.pdf

ヤップの土器を見るたびに、わたしは備前焼を思い出してしまうのだけれど、両者には土やの製法に似たところはないのだろうか?
備前焼の魅力である茶褐色の地肌は「田土(ひよせ)」と呼ばれる、たんぼの底(5m以上掘る場合もある)から掘り起こした土と、山土・黒土を混ぜ合わせた鉄分を含む土で焼かれるから(備前焼wiki)


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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by suyap | 2009-07-09 19:20 | ヤップの伝統文化
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