ひまじんの日記のひまじんさんから当ブログにコメントをいただいた。お父様が海軍兵士としてヤップ島に配属されておられたのだそうだ。そのお父様から伝え聞いておられた体験談をブログで発表されておられる:
〇ひまじんの日記:父の戦争体験編
http://himajin321q.seesaa.net/article/110447113.html
〇ひまじんの日記:父の戦争体験その2 編
http://himajin321q.seesaa.net/article/110477374.html
ヤップ島には1944年2月以来、陸・海軍あわせて約6000人くらいの日本軍兵士が上陸していた。そのうち作戦に応じて飛来した海軍航空隊員や艦船乗組員を除き常駐した海軍人は1500人弱だったようで、人数としては圧倒的に陸軍が多かった。したがって、戦後ヤップに慰問に来られる人々も残っている記録も、陸軍関係が断然多い。だから、
ひまじんさんのお父様のような一海軍兵士としての体験談はたいへん貴重なものだ。
(下の写真は米国立文書館所蔵の1945年8月28日撮影ヤップ飛行場)
いま生きているわたしたちにしても、見る立場、場所、環境、得られる情報が違えば、同じ事象を見ても、その受け取り方や印象が全く違ったものになる。それら雑多な「見方/見え方」を、その見る者のバックグランドとともに幅広く多方面にわたって逐一記録しておくことが、歴史を伝えるうえで本来は必要な作業なのだ。ところが7世紀の記紀編纂以来、日本の歴史は時の為政者や編纂者の利益や偏狭な思惑で壮大に書き換え捏造され続けているわけだけど...
そういう思いをベースに、戦後世代でヤップ島にも来られたことのない
ひまじんさんが、海軍兵士としてヤップ島におられたお父様の話を思い出しながらまとめられた記録-という条件を踏まえながら、少しばかり現地からリアリティに近づけるような考察(あるいは想像)なぞをしてみたいと思う。
以下はひまじんさんに敬意を表してですます調で...
まず本題にとりかかる前に、ヤップ島の戦争について書いた記事を挙げておきます:
〇太平洋戦争は避けることができた@ヤップ
http://suyap.exblog.jp/4078579/
〇ヤップの高射砲
http://suyap.exblog.jp/3768298/
〇ヤップの高射砲-訂正
http://suyap.exblog.jp/3801043/
ひまじんの日記:父の戦争体験編より:
19年の1月に、横浜港の大桟橋からトホホの出撃。
結果的には太平洋上のヤップ島へ向かうんどすけど、敵の潜水艦攻撃を避けるためか、偵察機に行き先を悟られないようにするためか、まっすぐに進まずに蛇が進むようにジグザグに進むんだそうどす。
普通に直進するよりも、はるかに時間をかけて、まずはサイパン島に到着。その後、パラオ方向に向けて、いよいよヤップ島に出発。
ヤップ島に到着、上陸を果たしてから、まずやらされたことは、連日の陣地の建設作業とのこと。
suyap:ヤップ島にはまず最初、1944年(昭和19年)2月10日に海軍第205設営隊(石本中佐以下400名)が到着しています。もしかしたらお父様はその中におられたのかもしれませんね。その数ヶ月前から南洋拓殖会社に委託されて始まっていた軍事施設(主に飛行場など)建設に、いよいよ軍隊が加勢したわけです。働かせられる者(数百人にのぼる朝鮮からの徴用者、ヤップ人)にとっては、この時点からオイ・コラ・ビンタの地獄が始まったようです。
なんでも、先のサイパンの港をあとに出航してから・・・3ヶ月してからサイパンが陥落したとのことどす。
~中略~
あんなに勇ましそうな航空部隊が壊滅なんやもん。
suyap:1944年(昭和19年)5月10日には、零戦、彗星など海軍第22航空戦隊所属の約50機がヤップに配属、翌11日には海軍第46警備隊(田中正道司令以下約1500名)が上陸しています。そして6月15日から、いよいよヤップ島航空戦隊もサイパンの米軍迎撃に出動です。それが、ヤップに無事帰還する機が日ごとに半減し...7月7日、サイパンは陥落しました。
(右上の写真は、空から撃たれて飛べなくなった零戦)
ひまじんの日記:父の戦争体験その2 編より:
なにせ、いままで見たこともないような爆撃機が、ヤップ島へ空襲に来るようになったんやそうどす。
suyap:7月25日から28日にかけて、米空母戦艦・巡洋艦・駆逐艦など20隻あまりがヤップ島と取り囲み、艦砲射撃と大型爆撃機B-24の編隊による激しい爆撃が繰り返されたそうです。
父は海軍やったから、海岸近くに配置していたそうなんどす。
海軍の陣地もだいたいわかっておりますけど、少しでもヤップの地名をおっしゃっていましたか?それがわかれば、所属がわかるかもしれません。
そうこうするうちに、陸軍さんの砲弾も底をつき、もはや高射砲も意味をなさなくなったので、陸軍さんの当面のするべき事も無くなってしまったそうどす。
suyap:はあ...高射砲もタマ切れどすか...(あ、いかん、
ひまじんさんの口調が移ってしもた)。もしかしたらこれ、陸軍さんの作戦だったかもしれませんね。まだまだ先は長いし、ここで無駄な抵抗してもしゃーないから、タマは今後のために大事にとっておいて、それぞれ安全なところに退避せよって。
こんどは艦載機が低空で毎日、機銃掃射にやって来るようになったそうどす。
物資を運搬する船なんかが、やって来るはずもないわけで、日増しに食料事情が悪化する中で、ヘビやカエルやトカゲや、もう・・・ありとあらゆるものを食べたと言っておりました。
suyap:8月中もニューギニアから飛来するB-24による「定期便」攻撃は述べ250機にも及んだそうです。そして9月7日から9日にわたって再び激しい艦爆。そのうち、ヤップ島のすぐ近くのユリシー環礁も米軍に取られ、そこから毎日「定期便」の機銃掃射を受けることになったそうです。
(写真は日干しにしてあぶるとメザシの味がしたという緑のトカゲ)
海軍の陣地にある対空機関砲も、それなりに活躍もして、目の前で敵の艦載機が墜落することもあったそうどす。
suyap:写真は海軍の十年式十二糎高角砲です。この陣地では爆撃を受けて4名の海軍兵士が亡くなったと聞いています。ヤップの日本軍の攻撃により41機の米軍機が撃墜されています。もちろん乗務員はほとんど死亡か行方不明。一方、日本軍側の戦病死者は、陸軍:250名、海軍:94名となっています。でも、敵方・味方の被害状況を競ったり比べたり...の話って、むなしいですね。戦争には悲惨とむなしさしか残りません。
ヤップなんて戦略的に価値がなかったんやねぇ~。
suyap:運が良かっただけかもしれませんよ。あるいは作戦勝ち?陸軍守備隊が上陸して以来、ものすごい勢いで突貫工事を行って、海岸にバリケードを築き穴を掘ったそうです。それを偵察していた米軍側は、日本軍の人員を大幅に上回って評価していたので、(すでにぺリリューも、サイパンもグアムも取ったので)上陸をあきらめたとか。しかし、この突貫工事のお陰で、ヤップ中の大きな樹木や建築が倒され、人々は海岸の住まいから立ち退かされたわけです。
20年8月15日に終戦となっても、すぐには復員の船が来るわけではのうて、来る日も来る日も窮乏した状態で帰国船が来るのを待っていたそうなんどす。
suyap:米駆逐艦ティルマン(Tillman)艦上で停戦協定調印が行われたのは1945年(昭和20年)9月20日でした。その後、9月末、野戦病院入院者などの重症者から帰国開始が行われたようです。お父様はそのおひとりだったのですね。ヤップでも亡くなられた方の半数以上は「戦病死」、デング熱、アメーバ赤痢、日射病など、それに栄養不良で体力が衰えているのが合わさって症状悪化するものが多かったのかも。お父様がご無事にご帰還されて、ほんとうに良かったですね。
同じヤップ州には、こんな悲惨な戦地もありました:
ウォレアイ環礁(メレヨン)で62年前に起きたこと
http://suyap.exblog.jp/6032304/
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ともかく、どういう理屈をこね並べようと、
戦争には不正義と悲惨しかな~いというのが、わたしの見解だ。
NO MORE WAR!!!
ちょうど良いタイミングで田中宇さんが記事をアップしてくれた:
〇
田中宇の国際ニュース解説:テロ戦争の終わり
http://tanakanews.com/090414GWOT.htm
そもそもテロ戦争とは何だったのか。そして、それを終わらせることは何を意味するのか
まだまだ安心してはおれない。
アルカイダというテロ組織は、もとから存在していなかった。米国が、テレビを見ている人々に政府を支持させるため『悪役』を用意するプロパガンダ戦略としてアルカイダを作ったなんてしゃあしゃあと、アルカイダ・アルカイダと米国と一緒になって騒ぎまくった英国の元外相が言ってるってんだから、同じやつ等が今度はアルカイダに代わって地球温暖化を槍玉にあげつらうってのも、眉に唾つけながら見ていかなきゃね。
言葉に踊らされず、騙されず、自分の五感+第六感+頭で真実を見抜き追究し続ける、これしか地球を住み良くする手立てはないし、それが地球の住民でなおかつまわりの生物に瀕死のダメージを与えている1匹の
ニンゲンとしての、義務なのだーっ>>>>>じぶん。ふう...
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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◆◇ヤップの情報はこちらでもどうぞ◇◆
http://www.naturesway.fm/index2.html
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