本日(1月26日)午前10時30分、
ほんじゃま、ちょっくら行ってくらあ...てなノリで、2艘のカヌーがヤップ島からパラオに向けて船出した。
上の写真で先行するのが、
マソー・メラム号、昨年8月に進水したばかりのヤップ島製新造艇だ:
新造カヌーの進水式-その1
http://suyap.exblog.jp/7423556/
新造カヌーの進水式-その2
http://suyap.exblog.jp/7425642/
もう一方は、サタワル島製の
シミヨン・ホクレア号、ヤップ-パラオ間だけでなく、ヤップ州の離島間を何度も航海している。この航海に向けてかなりの補修が加えられ、艇もなんだか嬉しそう。
実は2週間ちょっと前にも、
あさってパラオに行くから、あんたんとこの桟橋を使わせてくれやと依頼が来て、あれまっ、こんなに風の強い時期になんで?と思ったのだけど、それは案の定、キャンセル・延期になった。そして今回も、連絡を受けたのは3日前(笑)。
さらに2日前になって、今度は観光局から、
カヌー航海にもってくペットボトル入りの水や缶詰を提供してくれや-というお触れが、ヤップの各企業にまわってきた。なんでペットボトルや缶詰なんや?カヌーが転覆したり水舟になったらプカプカ浮き出して海のゴミになるし、飲み(食べ)終えた空きボトル(缶)を、クルーたちが全部大事に抱えてパラオまで運んでくれるかどうか?ここはひとつ提供者も伝統に立ち返えるべき!と思い、うちからはココヤシの実30個を提供することにした(右上写真)。
ヤシの実の外皮を剥いてないほうが長持ちするだろうと思ってキャプテンたちに聞いてみたら、なんと、剥いてきてくれとのこと、う~ん?と思ったけど、こうして両艇の積荷風景を見ていたら、皮付きのヤシの実もかなり積んでいったので、ひと安心。うちからのヤシの実は即日用ね、きっと(笑)。
上の写真は
シミヨン・ホクレア号に荷物を積み込んでるところ。この艇のクルーは9人、全員ヤップ州離島出身者で、キャプテン(ナビゲーター)は、ヤップ州離島のひとつラモトレック環礁出身のアリさんだ。控えめな彼は外国のマスコミには知られていないけれど、現役のナビゲーターとしてはトップ・クラス、今回もあまり気が進まなかったらしいけど(諸事情により、彼しかこの航海を率いれる人はいないので)、ついに担ぎ出されてしまった。
離島のクルーによる
シミヨン・ホクレア号の積み込みと出航準備は、午前7時30分から始まったが、ヤップの
マソー・メラム号の関係者は、準備開始予定の8時が過ぎても誰も来ず、やっとご一行が到着したのが既に9時前。それからサクサクと準備を始めたのはいいが、
シミヨン・ホクレア号よりも先に終えてしまった。海の仕事の成否は段取りに始まり段取りに終わる...大丈夫かなあ...。
見ていると、離島組の準備は念入りだ。くくれるものはすべてくくりつけ、防水シートも張り、なんと火おこし用とみられるタライまで持ち込まれた。もう「どんな時化た海の上でも、しっかり生活するぞっ」て感じ。
マソー・メラム号はもちろんヤップ人で操船され、この航海の言いだしっぺ(?)のサラガンさんがキャプテンだけど、彼は本来カヌー大工さんで、遠洋航海は初めてだ。それに親戚のFさんまでゲストとして乗っていくという。他の若いクルーは6人、パラオとヤップの中間点にあるングルー環礁までは行ったけれど、それ以上の距離はみんな初めて、う~ん、それなのに、なんでこの風の強い時期に...?今の時期は天気さえ読めば行きは追い風でスイスイOKだろうけど、
3月初めのヤップデイに間に合うように、風に逆らって帰って来るのはまず無理だろう。誰に聞いても、その点は言葉を濁す(笑)。
朝早くから州知事や各地区の「長老」、州議会議員なども駆けつけて、出航前にはセレモニー、といっても、クルーと主要な「男」だけが、2艇に挟まれたうちの桟橋に車座になり、順番になにやらスピーチしてる。
スー(わたしのこと)の桟橋がカヌー小屋(離島)/男の家(ヤップ)になっちゃってるよ-とまわりから言われながら、わたしは遠くからそれを見守る。ただ伝統と大きく違うのは、それぞれのスピーチに携帯マイクが使われて、陸側に集まっているクルーの家族や友人のほうまで聞こえるようになってたこと。
こういうローカルの行事の予定はあって無いようなものだから、午前7時からスタッフの
チョメがスタンバイしてくれて、うちのボートをよそに移したり、いつ終わるのかもわからない出航セレモニーで占拠されちゃった自分とこのスペースを、はたでボーッと眺めてるしかないわけで...。ま、うちの桟橋でやってもらえると便利な点もあって、カヌー2艇が桟橋を離れたらすぐに、うちのボートでしばらく見送り併走する用意も抜かりなく(笑)。
いよいよ、アリさんの、出航のチャーント(お祈り)が古式にのっとって(?)始まった。やっぱりホンモノがやると味があるなあ...(写真上中央やや左よりの赤いパンツのおじさんがアリさん)。
まず
マソー・メラム号が、パドルで桟橋を離れて帆を揚げる。かなりの風があるので、マリーナ桟橋のすぐ前からでも帆走に入れるみたい。
なぜだか
去年の進水式のときと帆が変わってるけど、きれいに立ち上がりました。帆のツートン・カラーは意図的に素材を変えてあるのか、デザインか、それとも、同じ色の布が足りなかったのか?(笑)。やっぱり、ヤップ島式のカヌーは細身で美しい。
マソー・メラム号は帆を揚げるやいなや、強い北東の風を受けてサクサクと帆走を開始した。
次は
シミヨン・ホクレア号の番。離島のカヌーは太めだけど、物や人はたくさん運べる。かつてこのカヌーはサタワルから30人の人を乗せて、ラモトレックに渡ったこともあるそうだ。もちろん、それは風が超穏やかなときの話。
はい、こちらもきれいに帆が立ち上がりました。航海に手馴れた貫禄を感じる。
まだ水路の中だから海面はまったり静かだけど、一歩(一帆)外海に出ると、波高は軽く3mを越えてるだろう。でも行きは追い風で、迷いさえしなければ帆を切り替える必要はないはずだから、けっこう楽ちんかも。天気概況では、安定した北東の風(約15ノット)が吹き、しばらく崩れる心配もなさそう。
なんで一番貿易風の強いこの時期に、あえて練習航海に出ることに拘ったのか...?わたしはずっとそのことばかり考えている。離島の連中は、この航海にあまり乗り気ではなかった。読者のほとんどは現地事情を知らないので、ここではあまり突っこんだことを書かないけれど、ヤップ島と他のヤップ州離島の、カヌー航海に対するスタンスの違いが、すごく現れているような気がする。
離島にとってカヌー航海は必須の生活の手段だったし、今でもそれが現役の技術として生きている島もたくさんある。それに対して、他の島に渡らなくても昔から十分な食糧が確保できるヤップ島の男にとっては、パラオへのカヌー航海は、名を上げる、男になる、手段だったのかもしれない。そういう違いが、今回の航海を挙行する決断のプロセスにも出たのではないだろうか。
しかもヤップ島では、太平洋戦争に入るとカヌー航海どころか建造すらも禁止され(日本軍部はスパイを恐れたから)、戦後のアメリカ軍占領期には伝統的なものの復活は全く歓迎されなかった。そしていまヤップ島のリーダー格になっている人々の多くは、幼少時代のベースにはかつての伝統生活があるが、1960~70年代の青春時代に、アフロ・ヘアにモーター・バイク、アメリカ人の持ち込んだマリファナにはまり、アメリカン・カルチャーを謳歌した世代でもある。そういう時代経過を通して、ヤップのカヌー建造/航海術の伝承はまったくといっていいほど途絶えてしまった。
一方、大洋に孤立している離島では、細々ながらもいまだにカヌー航海は生活の中で生きている。そこら辺の違いも、航海に対するメンタリティや決断の違いに出ているような気がする。それに、ヤップ島 VS ヤップ州離島は、なんたって複雑に入り組んだ対抗意識というか、強弱関係とか、そんなもんもあるし...
今回はサラガンさんを含め一部のヤップ人リーダーシップ・クラス(太平洋戦後のロスト・ジェネレーション)の、一歩間違えば狂気とも言われかねない決断(?)が、
マソー・メラム号とそのヤップ人クルーを、この大風の時期にパラオに向けての処女航海へと向かわせた-のではないか?(引きずられちゃった離島の
シミヨン・ホクレア号ご一行にはお気の毒ですが)。しかし、狂気はときに何かに1歩を踏み出すチャンスともなり得る(まわりはそうとでも思って自分を納得させるしかないさ~)。なにはともあれ、
ボン・ボヤージュ!
まだまだ水路の中だけど、風を遮る島が切れるところに出ると、もうこんな波。うちのボートに乗せてあげてたヤップ州テレビ局のカメラマンがカメラにかかる波しぶきを心配して撮影をギブアップ、ゲストももうたくさん、ということなので、水路の出口はまだ遠かったけど、早々に引き上げてきた。
この風で順調にいけば、2日か3日後にはパラオに到着のはずです。
(関連記事)
新造カヌーの進水式-その1
http://suyap.exblog.jp/7423556/
新造カヌーの進水式-その2
http://suyap.exblog.jp/7425642/
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