予定(?)どおりアソー氏が自民党総裁に選出されたとのことで... 元自治大臣
白川勝彦さんによると、なんと
総理大臣になる前に解散権の行使を決められた総理大臣は、数日後に総理大臣となる麻生氏だけなんだってね(
永田町徒然草「なに、10月3日解散だと・・・!?」) ふう~。
ところで、
カナダde日本語の美爾依さんが、数日前に「
大丈夫かなあ...」という記事に寄せてくださったコメントがきっかけで、
わたしが常日頃より敬愛する(ウソ)、シンキローこと森喜朗大先生が、
ミクロネシア連邦の首都ポンペイ島を訪問していたことがわかった。
首都といっても、ポンペイはヤップ島から日本に行くよりも遠い場所だし、それに言葉も習慣も違うし、まるで外国のような遠い場所という感覚だ。それに、「
首都がどうしたって?ヤップはヤップだよ」というヤップ人が多いので、誰もポンペイで起きてることなんか気にしちゃいない。それに物見遊山でくる日本の政治家なんて、(ポンペイですら)現地の庶民にゃ関係ない話だろう。
それだもんだから、わたしもシンキロー氏のポンペイ訪問をちーっとも知らなかったのだけど、きのう久しぶりに郵便局に行ったら、在ポンペイの日本大使館から、こんな招待状が届いてた。
「
この記事(これって税金無駄遣い?それとも(極秘)在住邦人調査?)」に載せた招待状と、ほぼ同じものに見えたし、そのレセプションの時間が変わったりしたので再送したのが遅配(日常茶飯事)になってたのかと思って、
また無駄なことして..とブツブツ言いながら捨てようとしたら、貼り付けてある細長い紙の文字が目に入った:
On the occasion of the Official Visit to F.S.M. of H.E. Mr. Yoshiro Mori, Former Prime Minister of Japan. (元日本国首相・森喜朗閣下の公式訪問に際して)
はあ???印刷にまわす前に、この一文を入れ忘れちゃったのね、大使館!(爆笑)
そのあとに続くのは、
The Ambassador of Japan and Mrs. Shoji Sato request the pleasure of the company of わたしの名前 at a Reception... (日本大使サトウショウジ夫妻は、〇〇を、...でのレセプションにご招待申し上げます。)
と順当なのだけど、
こんなペラペラの紙切れに名前を書かれるなんて、わが宿敵とはいえ、あわれ森喜朗さんは、ほんとうにシンキローのように消えつつあるのかなあ...?(なら、おとなしく、とっとと、お消えなさい!)
外務省プレスリリースによると、
1. 森喜朗元内閣総理大臣は、9月14日(日曜日)から18日(木曜日)まで、ミクロネシア連邦のエマニュエル・マニー・モリ大統領(H.E. Emanuel Manny Mori)の招請を受け、特派大使として同国を訪問する。
2. 森特派大使は、滞在中、日・ミクロネシア連邦外交樹立20周年記念式典に出席する他、モリ大統領他との会談及びミクロネシア連邦議会での演説を行う予定である。
3. 森特派大使の今次訪問により、日・ミクロネシア連邦二国間関係の更なる強化が期待される。
ということなんだけど、訪問先は
ポンペイだけじゃなく、
チュークにも行ったらしい。次の総選挙で政権からはずれたら、いままで好き勝手にできた機密費だの、ODA利権だのが遠のいてしまうので、今のうちに遊んじゃえ、威張れる国へ行って格好つけちゃえ、ってことで、おそらくシンキロー森喜朗の提案でミクロネシア側に「日・ミクロネシア連邦外交樹立20周年記念式典」だのをやらせ、自らを招聘するように仕向けたのだろう。おかしなODAをでっち上げてないことを祈りたい。
そもそも何でシンキロー=森喜朗がミクロネシア連邦で大きな顔をするようになったのか?
(下の
追記とご注意!もあわせてお読みください)
シンキロー=森喜朗もそれらしく振舞っているせいか、よく勘違いされるのが、現大統領をはじめとしてチューク州にたくさんいるモリ・ファミリーとの関係だ。1892年に初めての日本人商人としてチュークに渡った森小弁(モリ・コベン)の子孫が、今ではチュークに数千人もいるという。
チューク諸島の海から
再びFSMに日系大統領が誕生
しかし、北陸の森喜朗の一族は、土佐出身の森小弁の係累とはまったく関係がない。ところが、ミクロネシアのチューク州でモリというと、みな森小弁から始まったモリ・ファミリーなので、血族関係が何をおいても優先されるこの地域では、
マイ・ファミリー!ということになって特別扱いを受けやすい(他の苗字として、チュークではアイザワさんも便利です)。森喜朗は、そういうミクロネシアの風習を、自分の利権のために都合良く利用しているわけだ。
これは森喜朗に始まったことではなく、戦時中、陸軍の中隊長としてチュークに派遣された彼の父親のときもそうだっただろう。それが良い思い出として息子に伝えられ、彼はその立場を政治家として利用する。美談が美談に終わらず、そこに国民の税金と政治家の立場を使ったゴマカシがあるならば、とんでもないことだ。
ミクロネシア諸島自然体験‐2008年少年少女自然体験交流
こんな政治家、はやく消えてもらいたい!
日本・ミクロネシア友好議連会長に就任
《2004年(平成16年)4月8日》
↑ ↑
たぶん、ここに集う政治家をあぶると、ミクロネシア関係の利権集団が見えてくるだろうなあ...
追記とご注意!
①わたしはヤップ州ヤップ島に在住していますが、この記事で取り上げたポンペイやチュークにコスラエを加えて、ミクロネシア連邦4州は成り立っています。それぞれに言葉も文化も大きく違いますから、戦後の国際統治の中で「国」を作らされたとはいうものの、各州の独立性は非常に強いですし、それはとても良いことだと思います。各州の位置はこちらでどうぞ:
http://suyap.exblog.jp/4731852/
だいたい、「ミクロネシア」(小さい人々の国)なんて、そこに住む人々にとっては、たいへん失礼な命名だと思います。これは西欧列強が太平洋に進出してきた19世紀に、地域の呼称として始まったものです。他にポリネシア(大きい人々の国)、メラネシア(黒い人々の国)という地域呼称がありますが、このような西洋人の勝手な呼称を国名にした地域はありません。
②(おそらく)シンキロー氏の肝いりで、臨時代理大使から「大使」派遣に昇格され、パラオを差し置いて、在ミクロネシア連邦日本大使館が、マーシャル共和国、パラオ共和国も管轄下にした大使館になって以来、このような、わけのわからん「招待状」が届くようになりました。たぶん、大使館(古くからいるスタッフはたった一人しか残っておらず、あと8名はどどっと「本社」から来たスタッフだそうです)が、レセプションへの「人集め」に、手当たり次第発送しているものと思われます。誰が交通費1000ドル以上もかけて、週3便しかない飛行機を乗り継いでポンペイまで行くかってねぇ!こんな機械的な招待状は、かえって失礼だってのがわからん連中でしょう。怖いのは英語なので、同じものがローカルVIPにも送られてる可能性あり、ああ恥ずかしい。
③わたしの住むヤップ島は母系社会ではありませんので、日系人は「ほとんど」いません。しかしながら、わずか(人口の0.2%以下)にいる「先祖に日本人の血を引く」人々は、自己のアイデンティティを「ヤップ人」として生きています。財産の相続が父系で進むヤップ社会では、外国人の血を引くことは名誉ではないのです。
また母系社会のゆえに日系が多い他州でも、現地社会で日系を全面に出して生きている人はいないと思います。島社会では「島の者」として生きないとはみ出してしまいます。日本人の側からみた安易な「日系人」という括りは、ミクロネシア現地での感覚とは非常にずれていますし、意味がないと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
よろしかったら
人気ブログランキング地域情報 &
にほんブログ村海外生活ブログにクリックを!
◆◇ヤップの情報はこちらでもどうぞ◇◆
http://www.naturesway.fm/index2.html
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆