去年の3月と4月に書いた記事、
アリンガノ・マイスとホクレアがヤップに到着や、
アリンガノ・マイスとホクレアがパラオにむけて出発に登場した、ハワイイ島のNPO・
Na Kalai Wa’a Moku o Hawai’i(ナ・カライ・ワア・モク・オ・ハワイイ)が建造して、ヤップ州サタワル島の
マウ・ピアイルグさんに贈られたファイバー・グラス製の双胴
カヌーアリンガノ・マイス(Alingano Maisu)が、8月29日の夕刻、静かにヤップを出港していった。
去年の3月末にパラオに行ったアリンガノ・マイス号は、翌月再びホクレアと共にヤップに戻り(
ヤップのホクレア号)、そのままコロニアのハーバーに係留されていた。このカヌーは、サタワルの
マウ・ピアイルグさんに贈られたものだが、幅が狭く浅い裾礁が取り巻くサタワル島には接岸できない。そこで
ピアイルグさんの息子さんのひとりでヤップにいる
セサリオ・ソーラルゥさんに管理がゆだねられていた。
ところで現パラオ共和国大統領は、失われ行くミクロネシア文化の復興にとても熱心で、
去年3月末にアリンガノ・マイス号がパラオへ航海したときには、ヤップからパラオまで同乗したほどだ。そのときから話があったのかどうかは知らないが、ついに
セサリオ・ソーラルゥさんを「アリンガノ・マイス号つきで」という条件で、パラオ・コミュニティー・カレッジ(PCC)の教官に招聘した。そこで9月の新学年度始めを前に、アリンガノ・マイスの回航となったわけだ。この航海に同行するために、パラオ共和国教育大臣とPCCの責任者が空路ヤップにやってきた。
セサリオさんは、ヤップのNPO、トラディッショナル・ナビゲーション・ソサエティ(TNS)の主要メンバーでもあり、ナビゲーションの教官でもあった。しかし今年の5月あたりから、サタワル島を含めたヤップ州離島のスタッフの姿をTNSで見かけなくなり、ツーリストを乗せるカヌーの運航も大きなカヌー造りも、ヤップ人のみでやっていた。
もともと伝統的なカヌー学校はそれぞれの島ごとに(あるいは島を越えた流派ごとに)あったもので、それらを一緒にしたTNSのような組織は、ちょっと現実離れしていたと思う。それぞれの立場からいろんな言い分があるだろうが、わたしのようなよそ者(そしていかなる立場の島外者も)、口を差し挟む権利はないと思う。4月上旬にあったTBSの世界ふしぎ発見の破廉恥な取材活動が、TNSにかかわる人々の間に波風を起こさなかったことを、ひたすら祈るのみである。この破廉恥番組と破廉恥取材については、近々、このブログで発表します。
セサリオさんとそのクルー、そしてアリンガノ・マイスに、ボンボヤージュ!
(PS)
今は風が緩やかなので、パラオ到着は9月2日ころと見込まれている。
関連記事:
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アリンガノ・マイスとホクレアがパラオにむけて出発
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