ここんとこ
カナダde日本語の美爾依さんの記事がイカシてる。
父の日にちなんで:きっこちゃんに捧ぐも、
ぐっちー捏造問題における磯野彰彦氏の誠意ない対応も、相槌うちながら、じっくり読ませていただきました。それで何か関連する記事を書きたくなって、ブドウ畑の隣にお住まいだという美爾依さんのことばかり考えていたら、久しぶりにワインが飲みたくなった(笑)。でも明日の仕事のことを考えると、普通のワイン・ボトルの栓を抜くと飲みすぎちゃうのが心配だし高い。んだもんで、最近ヤップに入ってきたミニ・ボトル(美爾依さんにひっかけてるんじゃないよ)を買ってみた。1本3.50ナリ。で、お味は...
うへっ。2本買ったのだけど、1本を飲みきるのが精一杯かも(涙)。だから今夜はあまり酔っぱらってないと思うけど、話題はあっちこっちに飛ぶかもしれない。というわけで、ヤップな日々のワインな夜...
まず
父の日にちなんで:きっこちゃんに捧ぐという美爾依さんの記事では、
虐待体験とくに幼い頃のそれは、被虐待者の心や人生を後々まで大きく左右すること、そして
一方的な感情だけで「犯罪」を語るのは危険であるということ、などと勝手なマトメをしてみたが、それを元に考えを進めてみたい。
まず前者について、美爾依さんの記事でリンクされている
赤城高原ホスピタル虐待被害者の声、そこからさらに
解離性同一障害、
境界性人格障害、
kyupinの日記 気が向けば更新 (精神科医のブログ)などを読んでみると、日頃からマトモとキチガイの違いなんて紙一重、自分自身なんか限りなく後者に近いと思っているわたしには、ますます秋葉原事件が他人事とは思えなくなった。自分自身が被害者(またはその親族)、あるいは加害者(またはその親族)になるかもしれない可能性を、どうして否定できようか。
虐待(いじめ)は昔からあった。それをバネにして大きく成長した人もいただろう。しかしそれを可能にしたのは、鬼のような虐待を受けても陰でそっと手を差し伸べ育んでくれる人の存在があったからではなかろうか。いじめられても、どこかで息をつける空間があった(多様な共生社会)。しかし太平洋戦争後、急速な経済成長を遂げていった日本は、そういう息のつける空間をどんどん犠牲にしていった。お父さんもお母さんもすごく忙しかったし、もっとお金を稼ぎたかったし、テレビも車もマイホームも欲しかった。そんな社会の変化を一番敏感に察知するのは、いつの時代も子供たちだ。わたしの成長期にもすでにその兆候は現れており、時代の先端を行くわたしも早速登校拒否やら摂食障害やらをやってみたりした。今は遠い昔のことだけど(笑)。
それからさらに時代が下ると、息のつける場はますます、大人からも子供からも、失われていった。それぞれに兎小屋のようなマイホームができたのは良いが、そこからはオバチャンやオジチャンが消え、オバアチャンやオジイチャンも消え、キョウダイすらほとんどいなくなり、ニンゲンのアカチャンとイヌ・ネコなどのペットが同じような扱いを受けるようになった。と同時に、いつのまにか家の中も外も電磁波バチバチの電化製品に包囲され、日頃何気なく口にするものは、化学物質&成長ホルモンてんこ盛りのインスタント食品、養殖魚に狂牛(豚・鶏)肉ばかり、こんな環境でマトモな神経を保ってられるほうが奇跡に近い。そこでイジメや虐待が起きると、いったいどこで息がつけるのか?どこへ逃げろというのか?
そういう意味で、いまの日本社会では、発狂するほうがむしろマトモなのかもしれない。こんなクレイジーな社会では、自分をマトモと思えるほうがクレイジーではないか。そういう発想をもっとたくさんの人が持てるようになったとき、すなわち、こういう社会のほうがクレイジーなのであって、発狂しかけている自分の感性のほうがマトモなんだと気づくヒトが増えたとき、もっと息のつける場所を社会に取り戻す第一歩となるだろう。すごく抽象的だけど...(安物のワインが効いて来たか?)。
だから、素直にクレイジーになれない(なるのが恐い)ヒトが、クレイジーな社会でマトモにクレイジーな反応をして人殺しまで突っ走ってしまったヒト(このパラドックス、わかってよね)やその親族を責めたてるばかりでは、何の問題解決にもならない。わたしは死刑制度には大反対だけど、その理由のひとつは、人殺しまでやってしまうほどのマッドネスの根本原因を解明しないで、国家の名の下に殺してしまっては、そのマッドネスを生んだ社会は何も学べないからだ。国家が死刑=殺しを急ぐのは、何か知られたらマズイことがあるんだろうと疑ったほうが良い。狂った社会にマトモに反応して狂った者と、狂った社会を狂っているとも感じられないほど狂った者を、相対立させて鬱憤のガス抜きをして、得するのはいったい誰だ?したがって、
一方的な感情だけで「犯罪」を語るのは危険であるのだ。
(追記)
心配してたことが本当に...
カナダde日本語:宮崎勤死刑囚の処刑は見せしめのため?
ああ言い回しがくどい?<酔っ払い(笑)。でもついでだから、美爾依さんのもうひとつの記事
ぐっちー捏造問題における磯野彰彦氏の誠意ない対応にも、ちょこっと触れておこう。
貞子の
愚痴ぐっちーなんて聞いてもしようがないけど、
毎日新聞デジタルメディア局次長磯野彰彦氏は、やはりへタっておられるんではないかと思う。だから、
藤井さん(注:貞子のこと)へのご批判が主な内容と私には思えましたので、そのまま掲載することはご勘弁ください。今回の書き込みは藤井さんご本人からのものであると私判断しています。「おっさん」さんからのご要望と激励、批判については正面から受け止めさせていただきます。 (2008年06月16日(月曜日) 「髭男爵2」さんへ)
が精一杯というところか。彼のプロフィルには、
毎日新聞東京本社デジタルメディア局勤務。経済記者が長い。
とある。ということは、ぐっちーこと山口正洋氏、貞子の夫・藤井氏、ならびにお仲間の木村剛氏ら(+竹中
売国平蔵氏)とも、面識くらいはあるだろう。そのうえ、
デジタルメディア局勤務とは!あの事件を思い出してみよう:
阿修羅:読売新聞・政治部記者、石井誠氏変死事件
http://www.asyura.com/07/nihon22/msg/1003.html
これが他殺でないわけないだろ(読売新聞記者変死事件)
http://tommyjhon.exblog.jp/5484157/
石井記者は読売新聞社でインターネットや携帯電話、CS放送などの媒体で報道を行う
メディア戦略局の管理部社員だった。それが、どうしてこんな辱めを受けて殺されたのか?毎日新聞デジタルメディア局次長磯野彰彦氏の歯切れの悪さは、石井記者殺しと関係があるように思えてならない。
いっぽう植草さんのほうは、ブログで連日、正攻法の直球で発信されている。今の日本の政治家やメディア、評論家から個人ブログに至るまで、意図的に忘れてしまったストレートに本質をつく表現の、なんとすがすがしいことよ。このような植草さんを
2度と3度と孤立させてはいけない:
メディア・コントロールの闇
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_1f0a.html
(追記)
「政治的」テレビドラマと今後の政治日程
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_3b3b.html
ところで
植草さんと
ベンジャミン・フルフォードさんの対談が予定されているそうだ:
植草一秀先生VSベンジャミンフルフォード対談について
今週木曜日に植草先生とロング対談をします。優秀な経済学者である植草先生に日本経済の「真の実態」と「今後の行方」、また植草先生をハメた「国策逮捕」について最新の情報を加え、一連の出来事をわかり易く語っていただきます。以下のテーマ以外に議論してほしいことや質問がありましたらコメントに投稿して下さい。宜しくお願いします。
テーマ:国家権力が植草先生をハメた理由、国策逮捕について、竹中・小泉の売国政治、広がる格差問題、日本経済の「真の実態」と「今後の行方」など
この対談の行方を
神州の泉・高橋さんはこのように心配されている:
おそらくだが、植草さんに政治的なことを語ってほしくない連中が、今週木曜日に行なわれる植草さんとフルフォードさんの対談を、何とか邪魔したいと思っているかもしれない。私がお願いしたいことは、ここをご覧になっている皆さんが、この対談が行なわれることを覚えていただけたらありがたいと思う。2000 人くらいの人がこの対談があるということを、ただ記憶していただけるだけで、強い抑止効果があると思うからだ。
というわけで、ここにも転載しておきました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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