上の写真はヤップの北端、ルムングはガノン村のリーフの浅瀬に流れ着いた流木だ。嵐で倒れた大きな木の根っこが流れ出したものか、あるいは誰かが加工する目的で海に漬けていたものが流れたか、ときどき嵐はこんな土産物を運んでくる。
大きな流木を水中でも見かけることがある。木だから初めは浮いていたのだろうけど、長い年月のうちに水を吸って藻がつき、やがて浮力を失って水底に沈む。もしわたしが流木だったら、写真のようにどっかの浅瀬に打ち上げられるより、水底に沈んで
サカナや
エビや
カニや、
貝類や
ウミウシたちに住処を提供し、彼らの食料になり、やがて朽ち果てて海の栄養となるほうを選びたい...
ところで、
喜八さんの
「右」も「左」もない、オレは「下」やというスタンスを、わたしはたいへん気にいっている。上へ上へと昇っていけば、やがてバランスを崩し、あとは落ちるしかない。初めから「下」にど~んと構えていれば、世間はもっと広く見えるはずだ。
(5/30/08 追記)...と軽~く思っていたら、BLOG BLUESの兄者から異議ありぃ~ときた:「下」と「左」は幼なじみなのだ
そっそういえば、そうだったね、幼なじみの仲を裂いちゃ、いけない...(汗)。上でも中でもない、あたしは下が好き...言うならコレだわ、これから(爆)。※この論議に興味ある方は、下のコメント欄もどうぞ。
たぶん、このお方(写真右)も、
そういう下へ平た~くというスタンスをずーっと取り続けた果てに、こういうお姿になられたのであろう。
ミル・チャネルの浅瀬で見つけた
トゲダルマガレイ(
Bothus pantherinus)氏である。
身は下にはりついていても、上はもよとり四方八方をよく見渡せる両目と、いよいよ危険を感じたら砂を掻きたてその下にドロンするという、柔軟な処世術もお持ちのようだ。わたしは華やかな
チョウチョウウオや、走り続けるだけで一生を終える
マグロよりも、地味だけど落ち着いた
ヒラメや
カレイの生き様のほうに引かれる。
ところで現代ニホンのように、テレビやマスコミが生活の中まで侵入し、一日中、一方的にがなりたてているような状況では、目の前を派手に舞い泳ぐサカナや、目立つ流木ばかりに気をとられ、「下」から見上げるどっしりとした視点を見失ってしまうのではないか?多くの「下」がいなければ「上」は生まれない。そんな上を支えられる「下」こそ豊かなのだということを、忘れてはいないのか?
かねてより
話題の光市母子殺害差し戻し控訴審判で死刑判決が出たそうだ。
ニホンはなんという野蛮な国だろう。
ヤップでも毎年と言って良いくらい殺傷事件は起きる。幸い、
ミクロネシア連邦は死刑制度のない文明国だから、元殺人犯も、刑期を終えると、普通にみんなと暮らしている。まわりの誰もが、過去に何が起きたか知っている。本人も一生それから逃れることはできない。そういうしがらみのなかで、普通に暮らしている。たった100平方キロの島のなかで、たくさんの被害者とたくさんの加害者が、何事もなかったように暮らしている。
大きな権力者のいない共同社会では、
当事者同士の個人的な敵討ちはあっても、
権力=オーソリティによる合法的殺人=死刑など誰も要求しない。ただし起きた事実は(ときに尾ひれまでついて)後々まで本人についてまわる。しかしそれとても挽回可能な失点であって、本人次第でその後の人生はいくらでも開けるし、そのことについて誰も文句は言わないだろう。ましてや
当事者でもない者が、オーソリティの名の下に罪を犯した者に罰を与えて溜飲を下げるというような下品なことは、絶対に望まない。
ここでいう
当事者以外の者とは、事件を見て騒いでいる者や被害者に同情する者、警察当局および判決にかかわった検察・司法関係の者すべてをも含む。
カレイやヒラメの視点があったら、死刑制度に同意することがいかに野蛮で下品なことか、理屈ぬきでわかると思う。
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