というような事情で、ギリギリまで迷ったが、ついに行ってきました、カソリック教会のクリスマス深夜ミサ。
まずはカソリック教会へ行く途中で撮った、
去年と全く同じにライトアップされたエバンジェリカ(Evangelical Church 福音派)教会。プロテスタント系は深夜のミサはないみたい。
以前にも書いたとおり、電気代のべらぼうな値上がりで、今年のクリスマス・イルミネーションは去年にも増して地味だ。ホテルやレストラン関係も全く電飾なしか、あってもミニマム。このように省エネに励むのは、島や地球にとっては良いことだ。
そしてこちらが、1891年に建立されたヤップで一番古いセント・メリー(Saint Mary カソリック)教会の中の様子。屋外のライト・アップは
やはり去年と全く同じだったけれど、わたしが到着したのはミサの始まる直前で人出も多く、写真の撮影は控えた。
教会内の撮影も、実はやって良いものかどうかドキドキしながらカメラをバスケットの中に忍ばせて行ったのだけれど、誰かに尋ねる勇気もなく、頼みの
Tおばあちゃんに会いに行く時間も無くで、既に人で埋まった教会の最後尾の一番隅っこに身体を滑り込ませた。セメントを流した床の上に履物を脱いで直に座る。屋内には300人位いただろうか。中に入らず屋外に留まった人も相当いた。
やがて、教会に捧げる踊りのチーム(10代の女の子たち-全員、晴れ着用の腰蓑を着てトップレスの正装だ。教会の中で堂々とトップレスを許すところなどは、わたしがプロテスタント系よりカソリックに親近感を持つ理由のひとつである)が入場してきた。この踊りの作者であり、お師匠さんでもある
Tおばあちゃんも一緒だ。すると、さっきから気になっていた数列前の東洋系の3人の若い女性たち(ひとりは青年海外協力隊員、あとひとりは某日本人ワーカーと観光客?全員パンツ姿で、そのひとりはタンク・トップ!-教会に行くときは男は襟付きシャツ、女はドレスあるいはスカートが原則なのに)、それらがいっせいにデジカメで撮影を始めた。彼らの後ろにいる人々からは丸見えだ。と、前方のヤップ人の席からも何個か控えめなフラッシュが飛んだので、わたしもどさくさにまぎれてフラッシュなしで撮っちゃったのが右上の写真。
そしてフンドシ姿の可愛い男の子2人に先導されて
パドレ(Paedrey、司祭)が入場。ミサの手順は、法事のときとそんなに変わらないみたいだ。島中の人々から愛されたヤップ人の
パドレが2年前に突然亡くなり、現在セント・メリー教会に仕えるのはアメリカ人の
パドレだ。この人は以前も長いことヤップにいたので、おかしなアクセントだけどミサはすべてヤップ語で仕切る。イエズス会の宣教師のそういう現地順応性は、すごいと思う。
教会楽団の伴奏にのって聖書のフレーズを司祭が述べ、一同唱和したり、十字を切ったり、まあ度し難い衆生のわたしはここでも十字も切らず唱和もせず、ボーっと成り行きを見て色々なことを考えていたわけで...(そういう意味で最後列の隅っこの席は安住できた-笑)。
やっぱり老舗宗教はエンターテインメント性に危なげがないなー、あら、両手を広げてローマ法王みたい、わたしもやってみよう... うん、パドレを通して宇宙のエネルギーを分けてもらえるのかな?パドレはこの演技をどういう気持でやってるんだろうか?確かにパドレを見て「気持ちよくなる」人もいるだろうから、まあ、それはそれで良いか... 真の宗教家って何だろう?それぞれのニンゲンの「聖性」とか「霊性」とかはあるみたい。このパドレもさすがにそういうパワーは高い人なのだろう...亡くなったパドレのミサも見てみたかったなあ...
やがて踊りが始まった。
これはタヨル(Tayoer)という形式の踊りで、イエス・キリストの出生を祝って教会に奉納されるものである。ただタヨルの中には「物乞い」の踊りもあるので、フレーズによっては聴衆から掛け合いの合いの手が飛び、それに教会の外にいる若者の何人かが過剰に反応して大騒ぎをする-という場面も繰り返された。騒いでいる若者たちは明らかにテレビやビデオで見る
ショーの影響で、受けを狙って馬鹿騒ぎしているのだが、誰もたしなめに行く大人がいなかったことには驚いた。(かくいうわたしも、再びドサクサにまぎれて、今度はフラッシュを使って写真を撮ってしまったけど...いまだに後味が悪いなあ)。
もうひとつ驚いたのは、ミサの最後の方で登場した数人の男女による、イエズス・キリストス(Yeesus Kiriistuus)へのプリゼンテーション。それぞれが、それぞれのギフトを持ってマイクの前に立ち、
イエズス・タム!と口を切った。それはどう聞いても
Yeesus tamと聞こえ、tamというのは小さな男の子の名前を呼ぶときにつける「ちゃん」のようなものなので、これは
小さなイエスちゃんと言っていることになる。産まれたばかりの
小さなイエスちゃんは、彼らからミニチュアの家、竹筏、お父さんのヨセフへの斧、食べ物を入れるバスケットなど、とりあえずヤップで生きていくために必要なグッズを提供された。
あとで
Tおばあちゃんに
小さなイエスちゃんという呼び方について聞いてみると、
1) そんなに昔のことではないけれど、いつの頃からか、こんな呼びかけをするようになった。子供が産まれたばかりのイエズスを呼ぶときにはイエズス・ト(Yeesus toq トは親しい子供同士で使う)と呼ぶ。
2) 亡くなったヤップ人のパドレのときは、やらなかった。またメリケン(アメリカ人)のパドレになって復活した。
3) 小さな産まれたばかりのイエズスを親しみを込めて呼ぶのだから、良いでしょう?
という感じ。
この件は、わたしの好奇心をあまりにもくすぐったので、スタッフの
チョメ(セント・メリー教会付属小学校の先生を10年もやってたのに、絶対に教会には行かない奴!)に聞いてみると、「
そんな呼び方、聞いたことねえっ」。
アメリカ発祥のプロテスタント系SDA(Seventh Day Adventist、三育教会)に通う
G嬢に聞くと、「
なんだか滑稽(funny)ね。うちの教会じゃそんな呼び方しないよ。それにジーザスの誕生日は12月25日じゃないって言われてるわ」。はいはい、ジーザス・クライスト様はたくさん誕生日をお持ちのようで...
同じカソリックでも別の地域の教会に通う
タマちゃんにも聞くと、「
いや聞いたことないね、うちの教会じゃ」だって。どうやら、
小さなイエズスちゃんは、コロニアのセント・メリー教会だけにお住まいのようだ。
そんなこんなでミサがすべて終了したのは午前2時をまわった頃。Tおばあちゃんと甥の息子ジョン君を送っていく道中での会話:
Tおばあちゃん: バビロンは今、どこの国にありますか?
suyap: さあ、どこでしょう?イラン?
Tおばあちゃん: いや、イランじゃないよ、えーとどこだったか... ああ、年をとるとすぐに忘れてしまうから、困ったねえ。
suyap: ジョン、バビロンってどこか知ってる?
ジョン: さあな、イラクじゃないのか?
Tおばあちゃん: バビロンの人はユダヤの人を捕まえたから...ブツブツブツ...(意味不明)
Tおばあちゃん: インドとインディアは同じ国?どこにありますか?島ですか?
suyap: インドは中国の南、陸続きです。大きな国ですよ。
Tおばあちゃん: えっ、中国と陸続きですか?それでは満州は今はどこ?
suyap: 昔、ニホンが占領していた満州、英語のマンチュリアは、一部が中国になって、その大部分がモンゴルという国になっていると思います。
(追記)
ごれも大間違いでした(汗)。ゴンベイさん、ご指摘ありがとうございました。これは間違いですね。ごく一部が内モンゴル自治区で、他の大部分が東北三省と、全部が中国になっています。ロシアやモンゴルに領地の異動はありません。(by ゴンベイさん)
Tおばあちゃん: マンチュリアは満州のことですか?ああ、知らなかったよ、今まで...
ちなみに、わたしとTおばあちゃんの会話はほとんどニホン語である。たまにヤップ語になることもあるが、おばあちゃんはすぐにわたしのヤップ語能力の低さにじれて、ニホン語に切り替えてしまう。今でもバリバリのニホン語の使い手であるおばあちゃんはまた、戦後アメリカの研修を受けて英語もできる。しかし、インド=インディア、満州=マンチュリアなど、ニホン語と大きく違う地名などは、ニホン時代の学校で習った地図とはっきりと重ならないのかもしれない。今度、大きな世界地図を見つけて持っていってあげよう。
(追記)
あとでバビロン(今のイラクにあったようだ)のことを少し調べて、あらためて
Tおばあちゃんとの前日の会話と繋げてみると、なかなか意味深いものであることに気がついた。あれからずっと、イラクの戦争のことや、どうして戦争がなくならないかということを、おばちゃんなりに考え続けているのだろうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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