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ミクロネシアの小さな島・ヤップより

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再び原爆投下のほんとうの理由と、ジョセフ核軍縮担当米国特使の発言

a0043520_11485594.jpgジョゼフ核軍縮担当米国特使の発言を最初に聞いたとき、これをどう解釈すれば良いのか戸惑った。日本側の情報では断片的な発言しか伝わってこず、かといって英文のニュースを検索しても全く引っかかってこない。記者会見の全容が見えてこないのだ。

このロバート・ジョゼフという人は、バリバリのネオコン・タカ派として、ブッシュ政権に当初から深くかかわってきた。それが、今年の2月、米国の北朝鮮政策が対話路線にシフトしたのを不服と公言して、国務副長官を辞任した。
Sensing Shift in Bush Policy, Another Hawk Leaves{英語)
http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50170391.html
これはラムズフェルドやウォルフォビッツといったネオコン一派が、第2次ブッシュ政権の中枢からどんどん離れて(切られて)いる動きと呼応している。

さて日本のメディアで伝えられているジョゼフ発言だが、NHKニュースを編集したYouTubeで見てみたら、アナウンサーがジョセフ発言の部分を何度も繰り返し、それに比べると長崎市長や広島市長、アベシンゾーの発言のインパクトが非常に弱かった。(とくに秋葉広島市長のインタビュー発言にはがっかりだ。官邸から出てきたところを突然記者団に襲われたにしても、もっと強いメッセージで語れたろうに。「アメリカにもっと深い理解を求める」と言っても、奴らには初めから理解する気はないんだから、ここは「強く抗議します!」と言っておかなくちゃ...)

それで、日本政府の対応はどうかというと、
アベシンゾー総理大臣:「原爆が投下され、多くの無辜(むこ)の命が奪われ、たくさんの被爆者が後遺症に戦後も苦しんできた。原爆投下は許すことができない気持ちに変わりはない」と言いながら、「まずその発言を私自身見なければいけない」と変わり...
コイケユリコ防衛大臣:「歴史的評価は人類にとって挑戦、人道的には認められないことは明らかだ」と言いながら、「ジョゼフ氏は前から言っているので目新しさはない。日本の見解とは異なる」となり、ついに、
シオザキ官房長官:「発言は個人的な考えと聞いている」と述べた上で、「日本政府として抗議しない考え」

はあ?
外国人記者団もいる公式の記者会見でなされた米側の「特使」の発言を、どうやったら「個人的な考え」と解釈できるんでしょうか???

ここに天木直人さんの正論がある(必読!):
ジョセフ核軍縮担当米国特使の発言と日本政府の対応の甘さ
http://www.amakiblog.com/archives/2007/07/05/#000464
一方、ネット上で拾った2つの記事から、この発言は、米露首脳会談にあわせてワシントンで行われた原子力平和利用分野における米露協力に関しての事務レベルの会談後の記者会見中のものだったことがわかった:
「原爆、戦争終結導いた」・米特使が歴史家の見方紹介
米国のジョゼフ核不拡散担当特使は3日、ロシアのキスリャク外務次官との会談後の共同記者会見で、第二次世界大戦での日本への原爆投下について発言した。「原爆使用が戦争を終わりに導いた」という歴史家の見方を紹介した。キスリャク次官は「歴史家の間でも、終戦間際の原爆投下への見方は1つではない。ほかにも米ロ両国には違いがある」と語った。

 米ロ両政府は首脳会談に合わせ、ワシントンで原子力分野での協力に関して事務レベルでも協議した。(ワシントン=丸谷浩史)(13:48)<NIKKEI NET>(下線・色/太字は引用者による)
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原爆投下の正当性、米核不拡散担当特使が強調
7月4日13時38分配信 読売新聞
【ワシントン=大塚隆一】米国のロバート・ジョゼフ核不拡散担当特使(前国務次官)は3日、国務省で行った記者会見で、広島、長崎への原爆投下について、「さらに何百万人もの日本人が命を落としたであろう戦争を終わらせたという点に大半の歴史家は同意すると思う」と述べ、改めて正当性を強調した。

 原子力平和利用分野における米露協力に関する記者会見で、「原爆投下は技術の非常に無責任な利用だったと思う」と指摘されたのに反論した。最終更新:7月4日13時38分<Yahooニュース(下線・色/太字は引用者による)
状況は、こうだ。
まず、ある記者が質問した。
「原爆投下は(原子力)技術の非常に無責任な利用だったと思うが、それについての見解を伺いたい」

それを受けて、軍人あがりでゴリゴリのネオコンであるロバート・ジョゼフとしては、(原爆を人間の上に投下した世界で唯一の国である)アメリカの「公式こじつけ見解」をぶちあげた。

それに対して、ロシアのキャリスク次官は、
歴史家の間でも、終戦間際の原爆投下への見方は1つではない。ほかにも米ロ両国には違いがある
と答えているのである。

ところが、なぜか日本のメディアでは米側ロバート・ジョゼフの答えだけが喧伝されている。YouTubeでわたしが見たNHKニュースのように、繰り返し繰り返し映像と音声で流されているのだろう。これは、すごくおかしい!

原爆投下によって多くの人命が救われ平和になったというデッチ上げ論で、いつのまにか日本人を洗脳してしまおうという魂胆ではないのか?

だから、国民の前では「許すことはできない」なんて格好をつけて見せても、アメリカに抗議する気は元からないのだ。従軍慰安婦問題での対応と大違いではないか?まあ、アベシンゾーもコイケユリコも、核武装論者だから(こちらに証拠あり)、これで日本人の核アレルギーを弱めて一気に改憲・核保有への流れをつくる魂胆なのは、見え見えだけど。

それにしても、久間発言のあと、「原爆投下によって終戦が早まった(多くの人が助かった)のは事実かもしれないけれど」という前置きをしながら、「それでも被災者のことを考えると『しようがない』は許せない」という論理を述べているブログを多く見かけたことに、わたしは非常に危機感を覚えた。もういちど、アジア太平洋戦争の歴史と原爆投下にいたるまでの経緯を、しっかり勉強していただきたい。

確かに原爆投下はアメリカの戦略にとっては必然であって、結果的に日本の戦争指導者らにも歓迎されたというのは事実である。

しかし、原爆投下によって日本の降伏が早まったとか、それによって多くの人命が救われたといかいうのは、史実の捻じ曲げであり嘘である。それとも、原爆を投下しなければ、米軍は日本に侵略して数百万人も殺すつもりだったのか?あるいは、ロシア(当時はソ連)が殺しただろうというつもりなのか?(ジョゼフは、would have cost millions of more livesと言っている)

東海大学 鳥飼行博研究室
原爆投下にいたるまでの経緯を語る写真や文献を集めた素晴らしいサイトです:
原爆投下と広島・長崎・終戦
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1945/hiroshima.html
ぜひ訪れて、全文をじっくり読んでみてください。

過去の戦争で何が起きたのか、史実、事実、背景、さまざまな見解と証拠を、いつまでも掘り下げて考え続けることによってのみ、わたしたちは、将来の平和と安全な暮らしを築くことができる。

「なぜ原爆が投下されたのか」をテーマに、上記サイトを、わたしなりに以下にまとめてみた。
 



原爆投下にいたる以前の「都市無差別爆撃」
★スペイン内戦でフランコ将軍+ドイツ軍にようるバスク地方ゲルニカへの空襲(1937年4月26日)
★第二次上海事変で日本海軍航空隊は上海の中国軍航空基地と南京や南昌を空襲(1937年8月14日から1週間)<世界で始めての都市爆撃>
★1938年2月から1943年8月までの5年間、中国の戦時首都・重慶を218回爆撃、合計9513機出動、爆弾2万1593発を投下、市民1万2889人を殺害、1万4700人を負傷させ、家屋1万7608件を損壊させた。
報復力のない敵に対しては、非人道的な大量破壊、大量殺戮を実施できた。英独航空戦では、双方とも、当初、相手国の都市への無差別爆撃を控えていたのと対照的である。

世界平和を論ずる場合、総力戦にあって、市民・兵士全てが、戦争の被害者・犠牲者であったが、同時に、加害者として動員に協力、参戦していたことも認識しておくべきであろう。
原爆投下と広島・長崎・終戦

日本の原爆開発について
1941‐42年、日本陸海軍は別々に原爆開発を開始した。日本の技術、人材、設備、資源では原爆開発は不可能であったが、日本の原爆開発は1945年まで継続された。ドイツからウラン235を譲渡されることになったが、日本派遣潜水艦U‐234は、ドイツの敗戦で、米国に降伏。ウラン入手が不可能となった日本は、1945年6月に原爆開発を放棄した。万が一、日本が原爆を開発したら、戦局挽回のために、原爆の先制使用を躊躇しなかったであろう。

日本陸軍の原爆開発は、1945年6月に中止、海軍の研究も1945年7月に放棄された。非人道的兵器であるといった今日的理由で原爆開発を中止したのではない。枢軸国の原爆開発こそが、連合国による原爆開発の第一番目の口実(アインシュタイン手稿)であった。

日本が原爆開発に成功しても、5トン以上の原爆運搬は困難であった。しかし、本土沖合いに集結した連合国輸送船団の真っ只中で、自爆するのに使用できた。日本軍が原爆を保有していたら、戦局挽回のために当然使用したはずだ。所詮、軍隊とは、最新最強の兵器を使用したがるものだ。
原爆投下と広島・長崎・終戦

原爆投下・アメリカ側のほんとうの事情と理由
★米終戦後のソ連封じ込め説(対ソ外交説)・世界制覇権掌握説
ドイツ降伏までは、連合軍として共同歩調を取ってきたソ連であるが、ポーランド復活をはじめ、欧州の戦後処理では、すでに英国と激しく対立した。冷戦は既に始まっていたのである。米国でも、ルーズベルト大統領が死去すると、トルーマン大統領の先輩議員である国務長官バーンズは、原爆をソ連に対する外交を有利に運ぶための手段として、使用することを強く求めた。米国の同盟国のソ連に事前に通知することなく、日本に原爆を投下し、日本を壊滅させることで、たとえソ連の参戦があっても、戦後の日本占領政策に、ソ連が深入りすることはできない。そのためには、原子爆弾が巨大な破壊力を持つことを世界に示し,原爆を保有する唯一の国家米国こそが、世界最強の軍事大国であることを証明することが有利である。よく、対ソ外交を有利に展開する手段として、原爆を投下したといわれるが、英国、フランス、中国も含めて、国連常任理事国の中で、傑出した兵器を持っていることを実際に使用して、世界に示す=世界の覇権掌握こそが、より高次元の原爆投下の理由であったと考えられる。
★米軍新兵器実験説・米陸軍世界最強立証説
現在でこそ、核兵器の威力を世界の人々が知っているが、1945年8月以前、原爆は未知の兵器で、その威力は、極秘のうちにトリニティ(原爆爆発の初実験)で立証されていただけであった。破壊力のある革新的兵器を手にした米陸軍は、その威力を実戦に使用して、確認したかった。また、威力を世界に示すことで、米陸軍こそが世界最強であるとの証明にもなる。米海軍との対抗して、米議会で多額の予算を獲得するにも、原爆の威力を見せつけることは有利である。米海軍も原爆を保有したかった。そこで、米陸軍に対抗して、海軍は、対艦船攻撃用の原爆、潜水艦搭載の核兵器の開発を早急に進めることになる。ビキニ環礁の原爆実験は、艦船への破壊力を観察することにあった。)
★戦後の軍事予算獲得説
原爆を開発/製造するために膨大な予算を獲得するには、原爆の威力を議員たちにも納得してもらう必要があった。既に20億ドルが投じられたのは、戦時の極秘計画だったからで、終戦後は、各種兵器の増産は終了させられる。実際、空母などの大型艦船、B-17爆撃機など航空機は、量産が停止させられた。兵器生産の多くが終了すると考えられる戦後世界で、原爆に多額の資金を投入し続けるには、米議会と選挙民に原爆の威力を示す必要があった。原爆予算だけは削減できないものであると議会と世論に訴える必要があった。
★通常爆弾による無差別爆撃の延長線上に原爆投下があるという戦略爆撃延長説(鳥飼研究室新説)
戦略爆撃とは、軍事施設・インフラ(運輸・エネルギー・医療・教育の基盤)・住宅・商業地区などを破壊し、労働者・市民を殺害することで、敵国の世論を反政府に向かわせ、軍事力を弱体化することで、敵の抗戦意思を粉砕することを企図している。原子爆弾も通常爆撃と同じく戦略爆撃に投入され、両者の違いは、爆弾一発の持つ破壊・殺傷能力の大小である。放射能傷害など、原子爆弾に特有の被害(原爆症)もあるが、これは、殺傷力の違いである。したがって、原爆投下は、大規模な戦略爆撃であり、実際の効果、すなわち大量破壊・大量殺戮の上で,同じように非人道的である。大量破壊・大量殺戮を伴う無差別「通常」爆撃が許されるのであれば、原爆投下も許容される。
 つまり、1945 年8月時点では、米軍の日本本土への無差別爆撃という戦略爆撃の延長線上に原爆投下があるのであって、原爆投下だけを特別扱いする必要はなかった。原爆の保有・投下目標は最高度の軍事機密であり、特別な情報管理がなされたが、原爆投下自体は、容易に決断されている。トルーマン大統領が、原爆投下の議論にほとんど加わっていないのは、戦略爆撃がすでにドイツと日本に大規模に実施されていたからといえる。爆撃機千機相当の戦略爆撃をたった1機(観測機を含めて数機)で実施できるように改良したのが原爆投下である。この意味で、原子爆弾があれば、数百機の爆撃機とそれを運用する航空基地.搭乗員,整備員、航空機生産工場、資材・燃料を節約できる。原爆は、軍機であるが、威力のある最新兵器として戦略爆撃に利用することは、原爆開発の当初から決まっていたのである。
原爆投下と広島・長崎・終戦

原爆投下・アメリカ側ででっちあげられた理由
★1945年7月26日のポツダム宣言を、翌27日、日本の鈴木貫太郎首相が「黙殺する」と返答し、"ignore"という英訳が、原爆投下を招いたとするポツダム宣言黙殺説
鈴木貫太郎首相が、7月27日ポツダム宣言黙殺を世界に発表し、日本が降伏する意図がないと判断された。しかし、鈴木首相は当初から和平交渉を拒否し、徹底抗戦すると公言していた。この徹底抗戦という組閣当初からの方針を述べただけである。鈴木首相は、世界に向かって降伏の呼びかけを拒否したのであるから、鈴木内閣が終戦のために組閣されたという俗説は、これで誤りであると証明される。しかし、鈴木首相のポツダム宣言黙殺発言をする以前に、米国は日本への原爆投下を決定していた。(後述するが)これは、マンハッタン計画指揮官のグローブズ准将の作成した原爆投下命令書によってである。したがって、ポツダム宣言黙殺説は成り立たない。
★米政府・米軍の公式見解といえる終戦和平説:
日本上陸作戦を実施した場合、戦後のスチムソン陸軍長官の回顧録では、100万人の死傷者がでると、過大に見積もっている。これには、軍事的根拠はないが、原爆投下の正当性を訴える目的で、戦後になって死傷者の存在に注目した後付けの説である。これが本当であれば、日本上陸作戦の死傷者がどれくらい出るのか、原爆投下によって日本本土上陸作戦を行わなくても、直ぐに日本が降伏するのか、事前に何回も検討していたはずである。しかし、そのようなことはほとんど議論されていない。
原爆投下されたために日本が降伏したと誤解している識者も多い。最新機密兵器である原爆の技術と威力について、日本の指導者たちは認識・理解できなかった。彼らが危惧したのは、日本国民、日本軍の一部が、すでに敗北続きの軍上層部・政治指導者に反感を持っていたことである。このままでは、国体を覆す革命が起きてしまうと危惧していた。
★連合国と枢軸国との原爆開発競争に勝った米国が原爆を先制使用しただけという原爆開発競争説
1939 年のアインシュタイン・シラードのルーズベルト大統領当ての手紙では、ドイツが原爆開発を成功させる恐れがあり、それに先んじて、米国が原爆を開発すべきであることを訴えた。ドイツの科学力、技術力を高く評価していたからである。日本軍も1941年から優秀な科学者を動員して原爆を開発しようとした。そこで、日本が原爆を開発し、米国に原爆投下をするより先に、米国が日本に原爆投下をしただけであると主張される。
しかし、実際には、日本の化学力、技術力で原爆を開発することは不可能であった。当時の米国は、科学的根拠をもとに日本の原爆開発能力を評価したわけではなかったようだ。しかし、人種的、民族的偏見から、日本人による原爆開発の可能性を信じていなかったと考えられる。したがって、原爆開発競争説は、日本への原爆投下の理由として、戦後になって主張された説である。ただし、ドイツの原爆開発には、連合軍は神経を尖らせていた。ノルウェーにあった重水生産工場を特殊部隊を送って破壊したほどである。
原爆投下と広島・長崎・終戦

原爆投下が日本側でも歓迎された事実
1945年8月6日の広島への原爆投下、8月9日の長崎への原爆投下とソ連の対日宣戦布告に直面し、海軍大臣米内光政大将は、1945年8月12日、次のように語った。
「私は言葉は不適当と思うが原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢[国民の厭戦気分の蔓延と政府・軍首脳への反感]を表面に出さなく収拾が出来ると云うのは寧ろ幸いである。」(『海軍大将米内光政覚書』:ビックス『昭和天皇』講談社学術文庫 引用)
原爆投下が、昭和天皇の終戦の聖断をもたらしたのではない。敗北続きの軍、国難・生活難に陥れた日本の指導者たちへの国民の反感という世論が、共産主義革命・国体変革という未曾有卯の危機を予感させた。日本の指導者たちは、広島・長崎への原爆投下を、終戦(降伏)する口実としたが、核兵器の恐ろしさや戦後世界の核戦略は理解できなかった。

当時、原子爆弾は機密の最先端技術であり、日本の軍人・政治家の理解を超えていた。一夜にして、都市が破壊され、数万人が殺戮された事例は、1945年3月10日東京大空襲などいくつもあった。本土が焦土とされても徹底抗戦を主張していた指導者が、理解不能の原爆の威力に恐れおののき、降伏を決断することはありえない。
他方、ソ連は、国体・天皇に敵対する共産主義者の集まりであり、ドイツを打倒した強大な軍事力が日本に向けば、日本は占領され,国体も変革されるであろう。このようなソ連による国体変革の脅威を目前にして、米国への降伏、国体護持を請うたのが、終戦の聖断である。
原爆投下と広島・長崎・終戦

原爆投下へむけた流れ
第二次大戦中、30回の連合国首脳会談が開催され、出席回数はチャーチル14回、ルーズベルト12回、スターリン 5回。
会談は、枢軸国への無条件降伏の要求が1943年1月カサブランカ会談から主張され、対ドイツが優先された。大戦中の連合国首脳会議20回のうち、中国代表が率先して参加したのは、国連関連を除き、1943年カイロ会談だけで、日本と対日戦争が明示的に取り上げられた会談も5回に過ぎない。これは、対日戦争、アジアは、米国主導下に置くことを連合国に合意されていたことの反映である。

戦後日本の戦争責任や政治体制は,米国の意向にかかっていた。日本の指導者、特に宮中グループは、ポツダム宣言の文言よりも、米国が暗黙裡に国体護持を認めていることに注目した。終戦後、米軍に積極的に協力することによって、国体が護持できると考えた。つまり、日本は、終戦の聖断前後から、親米(米国追随)外交を展開することを決めていた。

1945年7月25日、日本本土への原爆投下命令がだされたその翌日26日、日本への降伏勧告のポツダム宣言が公表された。このポツダム宣言を黙殺したから、日本に原爆投下されたという俗説は、誤りである。原爆投下命令書に大統領の署名はなく、マンハッタン計画の指揮官のグローブズ准将が作成したものだった。原爆投下は、都市無差別爆撃の延長線上に、疑問の余地無く、遂行された。原爆投下の可否が議論されたのは、戦後になってからである。これは、原爆投下の非人道性が明らかになったためである。

米国は、暗号解読によって、近衛の対米和平、ソ連の和平仲介を知っていた。ソ連からの日本和平交渉仲介の連絡も受けていた。そこで、ソ連が対日参戦をすれば、日本が降伏すると確信できた。ヤルタ協定に従ってソ連が対日参戦する8月15日以前に、日本に原爆を投下することが望まれた。

原爆投下の決定は、
①核保有国は当時、米国だけで、報復の心配はなかった。
②既に都市無差別爆撃が実施されており、戦略爆撃の延長線上に原爆投下も位置付けられた。
③原爆投下の可否の議論は、米国ではほとんどされず、米大統領ハリー・トルーマンは原爆投下の専門家会合に出席しなかった。
以上をふまえれば、第二次大戦終結後の冷戦を見越して、ソ連封じ込め(対ソ外交圧力)世界覇権掌握新兵器実験・軍事予算獲得を理由として、無差別爆撃の延長線上に原爆投下がされたといえる。

日本本土への無差別爆撃による大量破壊,大量殺戮は、既に米軍のB-29爆撃機によって実施されており、米軍と日本軍にとって、原爆投下は、同じ範疇の無差別爆撃に過ぎなかったのである。

原爆投下によって終戦・和平がもたらされたという「原爆終戦和平論」は、事実ではない。原爆終戦和平論は、核兵器の保有・使用を正当化してきた。
総力戦の本質は、大量破壊、大量殺戮であり、戦略爆撃思想の延長線上に原爆が投下された。

原爆投下命令書には、トルーマン大統領の署名はない。参謀総長代理ハンディ大将の署名だけで十分だったのは、原爆投下自体、議論の末に行われたことではないことを示している。将軍の最低ランクのグローブズLeslie R. Groves准将が作成しているが、マンハッタン計画にかかわった軍事指揮官の影響力がつよければ、20億ドルを投じた原子爆弾を使用しないで済ませるはずがない。これは、原爆投下の理由が、米新兵器実験説米陸軍世界最強立証説戦略爆撃延長説であることを裏付ける。
原爆投下と広島・長崎・終戦

1945年7月25日原爆投下命令書:
ORDER TO DROP THE ATOMIC BOMB Handy to Spaatz, National Archives (July 25, 1945)


(参考)
鳥飼行博研究室:原爆投下と広島・長崎・終戦
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1945/hiroshima.html
平和記念館:なぜ広島に原爆が投下されたのか
http://www.hiroshima-spirit.jp/ja/hiroshima/shiryoukan/morgue_e12.html
長崎原爆資料館:原爆投下への道
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/museum/exhibit/exhibit_c02.html
「太平洋戦争は避けることができた@ヒロシマ」
「原爆投下のほんとうの理由」


(その他)
鳥飼行博研究室:
沖縄戦での住民集団死・集団自決と捕虜処刑
http://www.geocities.jp/torikai007/1945/kerama.html
特攻隊と学徒動員・知覧高女・鳥濱トメ
http://www.geocities.jp/torikai007/1945/okinawa-chiran.html



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by suyap | 2007-07-07 23:43 | 戦争はビジネス(怒)
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