落ち着いてパソコンに向かう暇のない日が続いている。
それでもきょうは午後4時には家に帰り着いたので、それから翌朝1時のゲスト送迎までは、ゆっくりメイルの整理や滞っている3日分のブログを仕上げようと思ってパソコンを立ち上げたとたん、あるダイビング・サービスのゲストが救急再圧治療を必要としていると連絡が入った。
2000年から、ヤップ州立病院にはグアムの米軍お下がりの空気充填式ツインロックチャンバーが設置されている。それを運行するために、ニホンでいうところの救急再圧士のトレーニングを受けた病院スタッフとダイビング・サービス有志がチャンバー・オペレーター・チームをつくり、ほぼ月1回のチャンバー試運転とスキル・リフレッシュを重ねて、今回のような緊急時に備えている。現在4人の病院スタッフと4人のダイビング・サービス有志がヤップ州立病院のチャンバー・オペレーターの資格を持っているが、勤務中の病院スタッフ以外は、全員ボランティアである。
ダイビングをやらない人のために、スクーバ・ダイビングと再圧チャンバーのことをちょっと説明しておこう。
空気や酸素濃度を空気より少し高めにしたエンリッチド・エア(以下、これらをまとめて空気と書きます)をタンクに詰めて水中に持って入り呼吸をする活動をスクーバ(SCUBA)・ダイビングという。SCUBAとはSelf Contained Underwater Breathing Apparatusの略で、ニホン語にすると自給式水中呼吸具となる。この装置で呼吸するダイバーは、いつも口のまわりの圧力と全く同じ圧力の空気を吸う仕組みになっている(そうでなければ、呼吸できない)。それで水中は空気中に比べて極端に圧力の高い世界だから(海水10mで2大気圧、同20mで3大気圧...)、ダイバーは、深く潜るほど圧力の高い空気を吸っていることになるわけだ。
ここで遠い昔、ヘンリーというイギリス人のおっさんが発見した法則を学校で習った記憶を呼び起こして欲しい(といっても、わたしなんか、ダイビングを始めるまでそんな記憶は飛んでましたがね^^)。「
温度が一定のとき、ある液体に溶解する気体の重量は、溶解度の小さい気体の場合、その気体が液体におよぼす圧力に比例する。」-ジャジャーン(笑)。
ところで、ニンゲンの身体は血液を始めとして大部分が「液体」でできている。ということは、スクーバ・ダイバーが、より高い圧力の空気を吸えば、その圧力が高いほど、彼/彼女の身体の中には空気の成分がたくさん溶け込んじゃうってことだ。それで、空気の成分はというと、2割強が酸素で8割弱が窒素だから、ニンゲンの身体が使ってしまう酸素は少々余分に溶け込んでも、あんまり問題にならないのだけど、酸素よりずっと大きな割合を占める窒素は、ニンゲンの身体では実は使い道がなく、これが過剰に溶け込んだまま浮上すると、いろいろ問題がおきてくる。
ここで話をくるりんぱっと変えて、ペットボトルに入った炭酸飲料を目の前に想像してほしい。喉の渇いたあなたは、その炭酸飲料のキャップをひねりボトルを開ける。そうしたら、ボトルの中の液体はどうなるだろう?細かい泡が見えてきませんか?
わたしの大好きなビールもそうだけど、ビールや炭酸飲料のボトルや缶は、その液体から発生する(あるいは工業的に充填した)炭酸ガスを逃がさないようにキャップをしっかり封印して売られている。キャップを開けるまでは、ボトルや缶の中の圧力は、発生する炭酸ガスによって1大気圧よりやや高めに保たれるので、静かに置いておくと泡は見えない。そこでキャップを開けると、一気に容器の中の圧力が1大気圧まで下がるので、ジュワっと泡が発生するというわけ。
この現象がニンゲンの身体の中で起きたら、大変なことになる。ちょっとでもスクーバ・ダイビングをすると、ダイバーの身体の中には大なり小なり使い道のない窒素が1大気圧で暮してたときよりも多めに溜まっているわけで、そういう身体のキャップを急に開ける、ダイビングの場合は急に1大気圧の水面に戻ると、ビールや炭酸飲料のキャップを開けた状態が起こりえるわけだ。
ニンゲンの身体の中でジュワっと目に見える気泡ができる事態は、よほど無茶な状況でない限り起きえないが、小さな小さな目に見えない気泡がポロリと毛細血管に詰まっただけでも、新鮮な血液が来なくなるその先の組織は壊死する。それが心臓や脳などの大事な組織で起きると命にかかわる一大時だし、脊髄で起きると下半身不随になるし、関節部分で起きると痛くて手や足が曲がったままになる。怖いのは、骨組織で起きていても長年にわたって自覚症状がなく、気がついた頃には骨がボロボロという無菌性骨壊死というやつだ。わたしの頭なんか、かなりの部分を無菌性脳細胞壊死でやられているんじゃないかと思う-というのは、
半分冗談だけど(笑)。
ところで、ビールや炭酸飲料のキャップを開けて、しばらくそのまま放っておくと、どうなるだろう?そう、気が抜けますねぇ、不味くなりますねぇ(笑)。でも、そうっと放ってあるビールや炭酸飲料からは、泡は見えない。この場合、余分な炭酸ガスは、飲料の液体と空気が接するところから、ひっそりと泡にならずに抜けていっているのね。試しに、平たいお皿と細長いコップに同じ量のビールを入れて、同じ時間だけ待って飲み比べてみると、お皿のビールのほうが、より気が抜けているのがわかる。
スクーバ・ダイバーも、こういう風にゆっくり時間をかけて身体から「気を抜いて」いけば、気泡が身体の組織に詰まる危険から免れるわけで、そのために各水深での滞在時間と浮上速度を計画し管理する道具が、ダイブ・テーブルやダイブ・コンピューターなのだ。余分な窒素の「気を抜く」作業は、肺の中の肺胞という組織の、血液と呼吸した空気が接するところで行われている。お皿の面を大きくするためには、この部分がタバコのヤニなどで汚れてないことや、吸い込んだ新鮮な空気がより長い時間血液と接していられるような呼吸パターンも大事になってくる。
ダイビング講習でもっとも大事な部分のひとつは、この「身体から安全に気を抜く」ノウハウをしっかり身につけてもらうことなのだ。それはすなわち、水深、潜水時間、浮上速度、呼吸パターン、体調の管理を、それぞれのダイバーが自己責任で行う自覚を持ってもらうことである。
いままで説明してきたのは、主に窒素で出来た気泡が身体のどこかに詰まって起きる障害で、これらは
減圧症と呼ばれる。この他にも、空気そのものが肺胞から漏れておきる障害の一部も、再圧チャンバーで救急処置される対象となる。
肺という袋に高い圧力の空気を吸いこんだまま、口を閉じて圧力の低い水面に戻ると、袋は過膨張する。そのとき、袋の末端組織=肺胞の一部が壊れ、そこから空気が漏れて血流に乗ると、大変なことになる。また、もともと肺の組織に欠陥がある人がスクーバ・ダイビングをしても、同じような危険が生じる。これらの肺組織から漏れた空気が原因で起きる障害全般は
肺圧外傷と呼ばれ、気泡の詰まった場所によっては減圧症よりも緊急の処置を要求される場合もある。これらの危険から免れる方法は、スクーバ・ダイビング中にはどんなときでも呼吸を止めないこと、浮上速度のコントロールをしっかり身につけること、そして当然のことだが、呼吸器系の疾患がある場合はダイビングをしないことだ。
再圧チャンバーの役割は、以上のような原因から、身体の中に発生したなんらかの気泡が組織に詰まることによって症状が出た人に、安全な方法で再び圧力をかけて身体の中にできた気泡を物理的に小さくし(消し)、気泡が阻害していた血行を再び取り戻して症状を改善させるとともに、ゆっくり時間をかけて「気を抜いていく」ことにある。
ヤップ州立病院の再圧チャンバーを運行するには、患者と一緒にチャンバーに入るアテンダント、システム全般を管理するエンジニア、システムを運行し記録する要員2人と、最低でも4人のチャンバー・オペレーターを必要とする。高圧酸素治療のトレーニングを受けたヤップ州立病院のメディカル・スタッフとDAN(Diving Alert Network)の指示でトリートメント・テーブルが決定されると、それに従って再圧チャンバーを運行するのが、われわれチャンバー・オペレーターの役割だ。一度オペレーションが始まると、最低でも4時間から6時間はかかるので、交代要員を含めて駆けつけられるオペレーターは全員チャンバーのまわりで待機する。今回は午後5時前に召集が来て、すべて終了して家に帰り着いたときは、午後11時半をまわっていた。
それでも、わたしたちが手弁当で駆けつけるのは、スクーバ・ダイバーのひとりとして、「明日は我が身」のリスクを実感しているからだ。一般にはあまり知られていないようだが、ダイブ・コンピューターで日に複数回のダイビングを何日も繰り返すダイビングが主流となって、レジャー・ダイバーの減圧症罹患率は年々増加している。おまけに潜水後に十分な「ガス抜き」時間を置かないで飛行機に乗ると、ますますそのリスクは高くなる。ダイビング旅行から帰ってしばらくしてから膝の痛みを覚え、整形外科に行ったら減圧症だった-という例もよく聞く。かかった医者がダイビングに理解がないと、それが減圧症であることさえわからず、間違った処方をしているうちに予後をますます悪くするという例だってある。
スクーバ・ダイビングというのは、様々なリスクをダイバーひとりひとりがしっかり受けとめて、それぞれの責任で自己管理を心がけてのみ、安全率は高まるものなのである。そして、実はそういう過程もまた、ダイビングの醍醐味のひとつともいえる。
以下に、再圧チャンバーのお世話になるリスクを減らすための10のヒントをあげておくので、スクーバ・ダイビングをする方は参考にしてください。
1)信頼できるダイブ・コンピューターを必ずひとり1個以上携行すること。
ほとんどのダイバーがコンピューター・ダイブする中で、ダイブ・コンピューターを持たずに人まかせで潜るのは無責任で無謀な行為です。またコンピューターのようなデジタル計器は壊れるものですから、バックアップがあったほうがより安全です。必ずしも機能のたくさんついた高いコンピューターである必要はありません。
2)それぞれのダイブ・コンピューターの取り扱い説明書を熟読し、より保守的(厳格)な使用を心がけること。
ダイブ・コンピューターの取り説を読むと、かなり減圧理論の勉強になります。またコンピューターによって採用しているアルゴリズムが違うので、必ず取り説の指示に従ってください。
3)それぞれのダイブ・コンピューターが指定する浮上速度を、どんな水深でも守ること。
水深21mから18mに移動するときも、水深3mから水面まで移動するときも、「浮上」です。現在ほとんどのダイブ・コンピューターで推奨されている浮上速度は毎分9m(1秒に15センチ)、これはかなりゆっくりしたスピードです。
4)どんな水深でも最大潜水時間が10分(できたら15分)を切らないようにすること。
ダイブ・コンピューターが教えてくれる数値は一般値です。あなた自身の身体の状態まで管理はしてくれません。またコンピューターで各水深の限界時間まで潜ると、安全値の隙間がほとんど無い状態になります。
5)ダイビングの始めのほうに深度を深くとり、徐々に浅くしていくプロファイルにすること。
ヘンリーの法則のとおり、深い(圧力が高い)ほどより多くのガスが溶けこむわけですから、深いほうから浅いほうへと潜ったほうが「気を抜く」効率も良くなります。
6)水深5mで最低5分の安全停止をとること。
安全停止の時間は10分から15分はとることが望ましいともいわれています。
7)水深5mで安全停止する前に、水深10mで数分のディープ・ストップをとること。
減圧停止を必要としないダイビングでも、段階的に圧力を減らしていくほうが「ガス抜き」の効率が良いことが証明されています。
8)潜水前、潜水後には、意識的に十分な水分の補給をすること。
脱水気味のときに減圧症が発生しやすいといわれています。またスクーバ・タンクに充填された空気は乾いているので、1ダイブするとコップ1杯分の水分が呼吸を通して失われるといわれています。
9)潜水後の激しい運動、飲酒は控えること。
栓をした炭酸飲料をシェイクすると泡がいっぱい出てきますね(笑)。
10)潜水後の飛行機搭乗までに、ダイブ・コンピューターやマニュアルに従って十分な時間をあけること。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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