「11月だから、葬式が多いなあ」と誰かが言った。わたしはその言葉にはっとして、11月に逝ってしまった知り合いの名を遡って数えてみた。ほんとうだ!
いま現在も、島では5つのお葬式が執り行われている。先週も3つあった。人口7000人ちょっとの島では、かなり多い数だと思う。亡くなった原因も年齢も一様ではないので、どういう因果関係があるのかわからないけれど、11月はヤップの人にとって「お葬式の多い月」という実感があるらしい。
ヤップの葬式は長い。亡くなってから埋葬まで、普通でも1週間、長いときは10日もかける。いや、かけたという方が正しいのかもしれない。というのは、最近どこのお葬式も短くなってきたような気がしているからだ。
<今回は、ヤップの野や庭で普通に見られる草花の写真を配してみました>
今朝お葬式休暇を願い出たスタッフと話していて、最近のお葬式を短くしている原因のひとつに思い至った。「霊安所に預けると1日で$700.00もするらしい。高すぎるよ」
以前はヤップ州立病院内にあった霊安室が、数年前に民営化された。民営化の前は、たしか1日$40.00だったと記憶する。まさか遺体を預かる値段がそんなに高くなっていたとは!
島のお葬式が長い理由のひとつは、アメリカ本土、ハワイ、ミクロネシアの他の島々などに住んでいる近親者が帰ってくるのを待つためだ。飛行機が週3便しかない現状では、帰ってくる算段がつくまで数日を要する。その間、遺体は霊安所で(言葉は悪いがマグロのように)冷凍してもらう。
(余談だが、息を引き取って1時間もしないうちに霊安室の冷凍庫に連れていかれるのを見て、わたしは肝を潰したことがある。「これじゃ、生き返ろうったって無理じゃない!」)
遠方の親族が帰ってくる日が決まると、それにあわせて遺体を解凍、(親族の依頼に応じて)内臓の防腐処理、化粧して棺に納める、というサービスを霊安室(所)では行っている。先に書いた昔の値段の1日$40.00というのは預かり料だけで、この遺体処理料は別だった。先のスタッフが報告した$700.00が処理まで含んだ料金かどうかはわからない。また彼が直接確かめたわけじゃないから料金の詳細はわからないけど、公営の霊安室時代よりも格段値上がりしているのは確からしい。
ヤップの葬式の段取りとして、(島外や病院で亡くなった場合は)まず遺体が帰ってくる前に、親戚・縁者・近隣の人々は葬式を出す家に駆けつけ、男たちは潅木を切り出して柱を建てヤシの葉の屋根を葺いて即席の屋外斎場を設営し、女たちは屋内と斎場のまわりの草刈りや清掃を分担、屋外の台所を大掛かりな炊き出しができるように整える。
それが一段落すると、
故人の家族と女系で繋がっている家族(たとえば息子《マゴ・キョウダイ・オジ・オオオジ・イトコ・マタイトコ》の嫁が故人の娘《マゴ・キョウダイ・オバ・オオオバ・イトコ・マタイトコなど》だとか)では、
ローカル・フード(タロイモ・ヤムイモなど)と米を、
故人の家族が男系で繋がっている家族(たとえば娘《マゴ・キョウダイ・オバ・オオオバ・イトコ・マタイトコ》など)が故人の息子《マゴ・キョウダイ・オジ・オオオジ・イトコ・マタイトコ》だとか)では、
できるだけ大型の魚(ナポレオンやワフーが特等、マグロは下等)を調達し、親戚縁者から集めた香典と大量のビンロウジュの実とともに届ける。それらは遺体が帰ってくる前に届けるのが望ましい。
以上が整うまでの数日が葬式前の一大イベントで、会社や役所勤めの人もたいてい休んで作業にかかる。「葬式」は最重大の欠勤理由だから、雇い主は拒否できない。公務員の場合は、年に数日の葬式休暇は有給扱いとなるはずだ。近親者の多い職場では、一同そろって欠勤ということも珍しくない。
いよいよ遺体を家に連れ帰るとき、病院の隣にある霊安所の周りには車がたくさん集まり、遺体を運ぶ救急車(霊柩車がヤップには無いので)に付き添って、道中は車の葬式行列となる。(これも今では過去形かもしれない。以前は道路の混雑を避けて夜中にやっていた遺体の搬送も最近ではせいぜい夕方が多く、きわめて徐行してくれた救急車も、後に続く車にお構いなく吹っ飛ばしていくような時代になった)
家に帰り着いた遺体は屋内に安置され、女たちだけが24時間体制で見守る。原則として男はここに立ち入らない。また「見守る」というのは棺を見守るのではなくて、蓋を開けた棺のまわりに近親の女たちが座りこみ、あるものはハエを追い、あるものは特徴的な節回しで泣き歌を詠う。ときおり新たな女の弔問客が遺体の側まで通されたりして、いろいろな女の泣き歌が交代で延々と続く。それに加えて、ときどき教会の聖歌隊がやってきて、聖歌の大合唱が始まったりもする。
女の泣き歌の節回しや旋律には一定のパターンがあるが、歌詞はすべてアドリブだ。故人との思い出やエピソードを、それぞれが思いを込めて詠いこみ、最後は泣き声に似せたフレーズが細く長く続いて終わる。同室や屋外の簡易斎場にいる弔問客は、その泣き歌を聞いて故人をしのび涙ぐむ。
ヤップの風習では、生の感情を表に出すのを良しとしない。嬉しいときも悲しいときも、何でもない風を装うのが美徳とされる。だから、親しい人を失って取り乱し泣き騒ぐようなことは「はしたない」とされ、女たちは押し殺した感情をすべて泣き歌に込めて「泣く」。そこまで昇華された感情から発せられる歌声は、ほんとうに感動的だ。やがて詠い終わると、本人は何でもなかったようにビンロウジュを噛んだり談笑したりする。この切り替えも実に見事だ。ヤップ人なら本人の心の痛みはちゃんと感じあっているから誰も咎めず、むしろそういう態度は「立派」とされる。ヤップ人は、悲しみや怒りを笑いで表現する人たちなのだ。
ところが最近、泣き歌を詠えない若い世代が増えてきた。以前は、「あの人は泣き歌も詠えないのよ」と女同士で蔑んだものだが、詠えない女がだんだん増えてくると葬式の雰囲気も変わるだろう。また感動的な泣き歌を詠ったからといって、必ずしもその人が心から哀しんでいるとも限らないんだなあ、とも思うようにもなった。どこの国でも、葬式は生きている者にとってのパーフォーマンスだ。故人との付き合いの程度や遺産をめぐる親族同士の駆け引きが必ずつきまとう。そんな葬式に「仕切り屋・目立ちたがり屋」が出るのも仕方のないことだろう。そういう人のパーフォーマンスはちゃんと見抜かれていて、彼女の泣き歌が始まると、「あの目立ちたがり屋がっ」と、こっそり舌打ちするオバアチャンもいたりする。
屋外の斎場の一角には男の間が設営され、男の喪主は男の弔問客に、そこで24時間体制で応対する。遺体が家に戻ると、一般弔問客もつき合いの度合いに応じて弔問に出かける。夕飯やシャワーを済ませて駆けつけ、夜通し、あるいは深夜まで滞在するというのが、日中仕事を持っている人に多いパターンかもしれない。朝方や日中は斎場に詰めている弔問客は少なくなる。そういった弔問客に、炊き出し部隊の女たちは、ひっきりなしにコーヒーやジュース、パンなどを配ってまわり、お持ち帰り用の食事を用意する。
埋葬の日に神父(カソリック・人口の80%)や牧師(プロテスタント・同8%)が来る時間は前もって伝えられ、人々はそれに合わせて、お墓に飾る花を持って最後のお別れをしに集まる。その前に墓穴を掘って準備するのは、再び近親の若い男たちの役割だ。ランクの高い村では、そういう仕事を頼む配下の村が決まっていたりするが、今ではもちろん親族の男も作業に加わる。
以上がヤップの葬式の流れだが、遺体を3-4日は家に置いてから埋葬するのが普通だった。それが最近では、1-2日しか家に置かない葬式が増えている。霊安所の費用が高いので、遺体を冷凍しないですぐ葬式にしたり、防腐処理しないで連れ帰ったりのケースが増えたせいかなと思って複数のヤップ人に聞いてみたら、「それもあるけど、葬式は手間や時間や金がかかってお互いに大変なので、短く終わらせたい人が増えているからだよ。年寄りは嘆いているけどね」とのこと。ふ~む、以前は亡くなって3日で埋葬なんてしたら、「あの家は人を生きたまま埋める」なんて陰口を言われたものなのに。
わたしは、
葬式は文化のバロメーターだと思っている。葬儀屋の言うままに葬儀を執り行ない、法定の24時間を待ち構えたように荼毘に付すという、昨今のニホンの葬式と比べたとき、それに思い至った。ニホンだって、昔は葬式にもっと時間をかけていたではないか!祖母から聞いた昔話には、亡くなって荼毘に付すまで2-3日かけたと思えるようなエピソードもある。「〇〇さんはのう、葬式の最中に棺桶から手が飛び出して、生き返っちゃったんじゃ。死んじゃったのは一昨日じゃったのにのう」
祖母の幼少の頃は、広島の農村も、まだヤップ並にのどかだった様子が思い浮かぶ。
そのヤップの葬式が、様変わりしているようだ。経済的な理由と時間的な理由で、死者との別れの時間が短縮される。それは「死」と向き合う時間の短縮をも意味する。ただ、ヤップがニホンのようになるには、まだ相当な時間がかかりそうだ。ヤップには大家族制度や伝統的な村制度で結ばれた人々の緊密な繋がりがあるし、まだ葬儀屋もない。葬式はすべて自宅で執り行われ、時間が短くなったとはいえ、しばらく家の中に安置され刻々変わり行く死者の姿と密接に過ごす時間を、子供の頃から経験する。
モノの大量生産、終わりを知らない効率の追求、食糧生産から離れ金に縛られ翻弄される生活・・・人類を含め、すべての生物に必ず訪れる「死=終わり」という現実から目をそむけることから、「永遠の成長・発展」という幻想に翻弄される生活が始まるのではないか。「今日頑張れば、明日にはもっと豊かな暮らしが」という思いで戦後を働き通してきた世代が迎える葬式が、自分らが追求した最高の効率とコスト・ダウンにより最短で催行されているニホンの現実には、いささかアイロニーを越えた肌寒さを感じる。
そして彼らに続く世代は、時代を経るごとに「死」から遠ざかり、ニンゲンに限らず動物の死んだ姿すら目にすることもなく成長する子供の多い今のニホン。そうして育った現代の若者の多くは、「戦争=人が死ぬ」をいう感覚さえ、リアルに持てないのかもしれない。そんな彼らが、「美しい祖国を守るために命をささげよ」と洗脳されたとき、いったいどういう行動に出るのだろうか?
「死」が日常にある生活を、もっと大切にしなければいけないと思う。「死」を忌むものとしてではなく、「始めあるものに終わりあり」という当たり前のことを体感するために、植物でも、動物でも、もちろん人でも、生きて死にゆく様を、身近に見つめる機会をもっと持つことが、最高の人生教育なのではないだろうか?
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