ブログトップ | ログイン

ミクロネシアの小さな島・ヤップより

suyap.exblog.jp

海を耕す人々&戦争の仕掛け方

海を耕す人々&戦争の仕掛け方_a0043520_852774.jpg広いサンゴ礁に囲まれたヤップ島の人々は、かつて目の前の浅い海を、陸の畑と同じように「耕して」暮していた。

ヤップでは海の仕事は男の分野なので、いちおう♀のわたしにはなかなか近寄れない分野なのだが、伝統漁法のひとつである石を積んだ漁礁を間近に見学したり話を聞く機会を得た。

海を耕す人々&戦争の仕掛け方_a0043520_855960.jpg日中の明るいうちにヤップ島に着陸する便では(といっても今のフライト・スケジュールでは水曜日の朝グアムから来る便だけ可能だが)、着陸寸前に島を取り囲むリーフ(サンゴ礁)の上に不思議な矢印を見つけることがある。これが今から書く石を積んだ漁礁(アッチ)だ。

海を耕す人々&戦争の仕掛け方_a0043520_863670.jpg矢印は必ず沖、あるいはリーフの上に点在する深い部分(マケフ)に向いていて、矢の部分をよく見ると袋状になっている。サカナは潮の上がっているときに矢の柄の部分に沿って泳いだり、または石壁の上を乗り越えたりしてやってきて、この袋状のところに入って餌を食べたりしてるうちに潮が下がると出られなくなる。

海を耕す人々&戦争の仕掛け方_a0043520_87038.jpg袋状の部分の中にも小部屋がいくつか造られていて、広い部屋から壁に沿って泳いでいるうちに別の小部屋に入ってしまい、出口がわからなくなるような仕組みができている。

とまあ、ここまでは「サカナを採る仕組み」のひとつの形態として考えられるが、昔のヤップの人たちは、もう一歩先を行っていた。石の漁礁・アッチを造るときの基本コンセプトをいくつか挙げてみよう。
〇アッチはサカナを採る仕掛けではない。サカナが居心地が良いと感じるようなシェルター(家)と餌場を提供するつもりで造ること。

〇月、潮の動き、時間、海中の地形、流れなど、様々な要素を考慮して、その場所にあった形や方角、高さのものを造る。

〇石を積むとき、ガタガタしているとサカナは怖れるので、少々の波や流れでがたつかないようにしっかり積むこと。ただし、小さなサカナや海水が通り抜けられるように隙間もあけておくこと。

〇アッチを使ってサカナを採るときだけ、入り口を塞ぐ。また頻繁に同じアッチで漁をしないこと。そんなことするとサカナが「あの場所に行くとヤバイ」と学習してしまうから。

〇アッチを造って管理するのは、サカナとの知恵比べ。始終目先の海を観察することによってわかってくるもの。

海を耕す人々&戦争の仕掛け方_a0043520_872433.jpg太平洋戦争以前のヤップでは、リーフのいたるところにアッチが築かれていたそうだ。一説では1000以上もあったという。それが日本軍がやってきてヤップ中のリーフの上に砦を築いたり、アメリカ軍の爆撃で破壊されたり、飢えた日本軍の兵士がダイナマイト漁をしたりしたので、戦争が終わったときには全滅状態となっていた。その後に続くアメリカの施政では、缶詰や新しい漁具がどんどん入ってくるようになり、アッチの再築は非常に限られていて、今では水中ライトを使った夜の潜り漁や刺し網漁などが主流になって、アッチ漁の伝統はほとんど失われている。

アッチ漁の知識を持ったお年寄りがどんどんいなくなる現状で、最近少しだけ(アメリカから来た台風復興費などを使って)アッチ造りが行われた。でも「再築してみたけれど実際の漁はしていない」という場所jも多い。わたしも知れば知るほどアッチとその漁法のコンセプトの奥の深さにエキサイトしているので、是非これを島の環境保全と次世代への財産として受け継いでいってほしいと思っている。


◆世界のニュース・ウォッチ
ヤップのラジオでさえ「時期日本国総理大臣・安倍晋三は日本がテロの脅威にさらされているとして、憲法を変えて再軍備をするという指針を発表した」と放送している今日この頃...日本人が知らない恐るべき真実「戦争とアメリカの嘘」から、今回は湾岸戦争について引用する。
湾岸戦争
・1990年におこった第一次湾岸戦争の直接のきっかけは、

①クウェートがイラクに無償援助していた戦時国債の即時返還を求めた。

②クウェートとサウジアラビアが国際的に決められた量をはるかに超えた石油を輸出し始めた→イラクの主要産業・石油が値崩れを起こした。

③クウェートがイラクとの国境にある油田から大量に石油を採掘し始めた。

とクウェートがイラクを挑発するような動きを取ったためですが、イラクの不穏な動きに不安を感じたクウェートは、米国政府に打診したところ、「イラクの動静に心配はない」という返事をもらっています。

イスラエルもチェイニー国防長官に対して、イラクによるクウェート侵攻を警告していましたが、これも無視されました。

また、CIAが、軍事偵察衛星から送られてくる写真から、イラク軍がクウェート国境への集結していることを確認し、政府に警告しましたが、これも無視されています。

本来ならこの時点で、アメリカが第七艦隊をペルシア湾へ向かわせ、イラクに警告を発していれば、湾岸戦争は回避されていたはずですが、アメリカは見て見ぬふりをしました。

そして、その決定打となったのが当時のイラク駐在のグラスピー米国大使がフセイン大統領に言った「アメリカはイラクの行動には関心がない」という誘い文句でした。それに拍車をかけるように、ジョン・ケリー国務次官補も記者会見で「クウェートが攻撃されてもアメリカにはクウェートを助ける責任がない」と公言しました。

こうしてアメリカ公認でイラク軍はクウェートに侵攻したのですが、侵攻当日、ベーカー国務長官はソ連のシェワルナゼ外相と、いかにも驚いたふうに「遺憾である」と共同声明を発し、クウェート侵攻が予期せぬ唐突な事態であったことを世界にアピール。

この日を境に米国政府は、それまでとは打って変わって、イラクを強く非難する強硬姿勢に転じ、各国の支持を得るための活発な外交活動を展開。

そして、アメリカ主導の“多国籍軍”を形成してイラクを爆撃することに成功しました。

また、この戦争中、クウェートの少女が米国議会において「イラク兵が病院で赤ん坊を床にたたきつけた」などと涙ながらに証言。戦争に疑問を抱いていた世論も一挙に反イラク色に染まりましたが、後に少女は駐米クウェート大使の娘で、現場にさえおらず、証言は虚偽であった事が発覚しました。

さらに、ペルシャ湾に大量の重油が流出した事件が起き、「イラクが重油を流出させた」と主張して海鳥が重油まみれになっている映像を世界に配信し、イラク批難の材料にしましたが、イラク側は「アメリカによる空爆により重油が流出した」と主張。後にイラク側の主張が正しいことが判明し、アメリカによる情報操作が明らかとなりました。

情報操作によって世論を盛り上げ“参戦”を演出するだけならまだしも、何も知らない自国民を犠牲にしてまで戦争したいというメンタリティーは、一般的な日本人の感覚では信じられない(信じたくない)かもしれません。でも、それが国際エスタブリッシュメントの“本性”であることは、これから動乱の時代を迎えるにあたり覚えておいた方がよいと思います。
戦争/紛争は宗教や民族や文化の違いでは起きない、必ず金がらみ、どこかで戦争させれば金の儲かる奴らによって「戦争は起こされる」



最後までお読みいただき、ありがとうございました。
よろしかったら人気ブログランキング地域情報 & にほんブログ村海外生活ブログにクリックを!



◆◇ヤップの情報はこちらでもどうぞ◇◆
http://www.naturesway.fm/index2.html
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
by suyap | 2006-09-02 23:54 | ヤップの伝統文化
<< [ダイブビング]まったりした西... とりあえず...9月 >>