天候: 曇
風向: 東北東
風力: 6ノット
気圧: 1009hPa
湿度: 80%
気温: 30.1℃
過去6時間の最高気温: 29.4℃
過去6時間の最低気温: 24.4℃
(6月24日11時53分現在のヤップ気象データ)
(注)「天候」「気温」に関しては、観測時間によってデータに大きく差がでます。一般的に夜は雲が多く気温も低いです。
2006年06月19日の投稿「
ヤップの高射砲」に、ある読者の方からたいへん丁寧なコメントをいただいた。それによって別の資料にもあたった結果、わたしはたくさんの間違いをあの記事でしていたことに気づいた。数字的な間違いは「こっそり直しておく」という手もあったが、そんなことで誤魔化せない勘違いや思い違いも多かったし、他の読者の皆さんとシェアしたい貴重な情報でもあったので、ここで別に稿を起こすことにした。
まず、ヤップ島の兵員数を次のように訂正します。
ヤップ島守備隊(1944年7月3日現在)
陸軍:4423名
海軍:1494名
ヤップ島守備隊・戦病死者数
陸軍:250名
海軍:94名
また高射砲については、次のようなご説明をいただいた。
「ひとつ誤解されていると思うのは、高射砲というものは飛行機自体に弾丸を当てるのではないという点です。弾丸自体に発射何秒後に炸裂するよう設定する仕組みになっており、 敵機の飛行空域内で弾丸を炸裂させて墜落させるのです。」
「ノモンハン事件(昭和14年)での報告によれば、1機撃墜あたりの使用弾数について次のように報告があります。4,000m以下の高度で約40発。5,000~6,000mで約100発。6,000m以上で約200発。但し、ヤップ爆撃(昭和19年)は米軍のB-24という機が主に使用されておりノモンハン当時より飛行速度も速くなり、爆撃も高い精度で行えるようになっていました。加えて、艦載機(B-24よりも小型で高速の爆撃機や戦闘機)の攻撃も受けています。従って、使用弾数は上記より若干多くなったと考えられます。」
「
http://www.missingaircrew.com/yap/yapmissions.asp
にヤップ上空で撃墜された米軍機の一覧があります。高射砲(AA)による撃墜や撃破は割合多く、同サイトに掲載されている当時の作戦報告書の『対空砲火』の欄には Accurate の文字がよく見られます。」
わたしにとっての高射砲の原点は、若い頃に見たベトナム映画でべトコンの少女たちが高射砲に弾をつめているシーンだった。そのときから、「あんなので飛行機が打ち落とせるのかなあ?」という疑問を、ずっと引きずっていたように思う。それで、「こんなもんが飛行機に命中するわけないや」と勝手に決めつけていたのだが、実は大変な威力だったようだ。
また、現存する高射砲に開いた穴については、
「四門あったヤップの高射砲の内、一門は戦時中に米軍機の直撃を受け破壊され死傷者が出たと聞いています。しかし、これは銃撃ではなく爆撃によるものと思います。」
「終戦の折に武装解除がなされ兵器を使用できなくするよう米軍から通達が出されました。
飛行可能な航空機はプロペラを外さねばなりませんでしたし、砲については砲身に穴を開けなければなりませんでした。これについては、その処分の形跡だと思います。ちなみに、高射砲隊のみですと戦病死を含め39名の死者を出しています。」
そうだったのか・・・
今まで「これはたぶん機銃でやられた穴でしょう」なんて説明していたが、大間違いだった訳だ。今までわたしの戦跡ツアーに参加された方で、こんないい加減な説明を信じたみなさん、ごめんなさい(汗)。
この情報を下さった方は、おじいさまが高射砲隊におられたというご縁で、その部隊の記録を残そうと努力をされているのだそうだ。時が経てば経つほどわからなくなる戦争当時の情報を、こうして収集・記録されている方がおられると知って、わたしはとても嬉しくなった。
現地にいて朽ち果てていく戦争の残骸を目にしていても、当時の手がかりを得ることは非常に難しい。それでも数年前までは、元兵士としてヤップにいた人たちの再訪がたまにあったのだけど、だんだんそれも途切れつつある。わたしはこれからもヤップの戦跡の記録を撮り続けるつもりだが、資料収集に有利な日本にいる方々との連携作業で、「あのとき、何があったのか」を、ちゃんと残しておくことができたらいいな、と思う。
写真は上から、マダデ山頂の野砲(?)、同じくその台、山腹の迫撃砲。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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