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ミクロネシアの小さな島・ヤップより

suyap.exblog.jp

ヤップの踊りの変遷

天候: 曇り
風向: 北東
風力: 9ノット
気圧: 1009hPa
湿度: 92%
気温: 25.7℃
過去24時間の最高気温: 30.0℃
過去24時間の最低気温: 21.1℃
(3月26日午前6時57分現在のヤップ気象データ)

このところブログ投稿を怠りがちでスミマセン。身辺なにかと慌しく家に帰れば「遠方の友」と一時同居中でつい遅くまで話し込み、気がつくと頭は文字を書ける状態になく、、、というわけで、今朝は仕事に行く前に書いておくことにした。というのは、昨日、ちょっと忘れたくない踊りに関する話を、うちの店番の女の子がしてくれたからだ。ブログっていうのは、こういうふうに「記録」媒体としても使えるなあ、と感心しながらこれを書いている。それと毎回掲載のヤップ気象データは、データの発表された時間に注意して読んでほしい。ほぼ一時間ごとに更新されるデータをたいてい書く前に確認して紹介いるので、記録されたデータは夜遅い時間や早朝のだったりするから、気温とかはかなり低め、天候も曇りが多い。というのは、ヤップのお天気の通常として、日中は晴れても朝夕は曇ったり雨が降ったりすることが多いからだ。

ヤップの踊りの変遷_a0043520_802394.jpgで、今日の本題の踊りの話だけど、ここに掲載している写真はトミール地区タブ&メルール村の女の座り踊りで、このあいだ行われた納めの踊りの模様をヤップの親戚が撮ってきてくれたものだ。これにはわたしも呼ばれていたのだけど、ちょうど仕事が入って行けなくなって残念だった。ちなみに、この踊りとこれから書く内容とは直接の関係はない、が、まったく関係なくもない。ヤップの踊りの変遷を感じながら、写真で女の座り踊りの様子をお楽しみください。

ヤップの踊りの変遷_a0043520_80576.jpgわたしがヤップの踊りやその練習風景を十数年見続けてつくづく思うのは、これって日本の「お稽古事」にも似てるかなってこと。伝統の踊りには細々とした決まりごとがあって、それらがすべて統合されてひとつの「美」を作り出すようになっている、と思う。踊りは必ず集団で踊られるから、ひとりだけ身勝手なパーフォーマンスで「受け」を狙うような行動は、本来は嫌われる。それを、うちの女の子はこういう風に言ってくれた。

「たとえばね、おばあちゃんの話だけど、『夜暗くなってから灯りを持たずに村をうろつくと、踊りのときにどんなに素晴らしい踊りをしても、誰も気づいて見てくれないんだよ』っていうの。わたしも、それはよくわかるわ~」

ヤップの踊りの変遷_a0043520_813185.jpgヤップ人でちゃんと躾のできた人(子)は、夜暗くなってから手に灯り(いまは懐中電灯など)が無いと絶対に他人のテリトリーに入らない。いまだに村によっては「日没後は灯りを持たずに出歩くべからず」という掟を設けているところもある。それで、そのルールを守らない行為と、踊りとどういう関係があるか、わたしには話を聞いても最初はピンと来なかったのだが、彼女には、おばあちゃんの話を聞いた途端に理屈抜きで理解できたらしい。これがある民族が継承する共通のエッセンス・地盤とでもいうものだろうなあ。たとえば、日本で日本人として生まれ育ったら深く考えなくてもなんとなくわかる・感じられることって、あるでしょう?

ヤップの踊りの変遷_a0043520_82858.jpgで、なんで暗がりを灯りもなく歩くのと踊りが関係あるかというと、共同体のルールを平気で無視できるような子は、踊りでも平気でルールを無視する=個人主義に走る=目立ちたがり屋のパーフォーマンスに走る、ということらしい。それで、実際これが当たっている。さらにお年よりは嘆く:

「いまどきの若い衆は、わたしらの言うことをマトモに聞きやしない。何か言うと『なんで?』と言い返してくる。厳しく躾ようとすると、今度は親から怒られる。だから、もう踊りを教えるのは嫌になった。これからの踊りがどうなろうと、わたしが受け継いだ踊りの魂は、わたしと一緒に墓に入ったらそれで終わりや」

それでもここ数年、青壮年層の間で踊り復興の機運は高まっている、といっても政府機関からの助成があるからだとも言えるが。そんな状況の中でも上記のように嘆く年配者は多く、そういう人たちは教える現場から身を引いているか、参加していても、あまり強く言わない。そして実際の踊り手はせいぜい50歳代くらいまでの青壮年層で、上記のように嘆いている世代の踊りは残念ながらもう見る機会がない。ということは、今の踊り手たちにも昔の踊りのスピリットを実際に見て感じる機会がほとんどない、ということになる。

ところがつい最近、ある踊りの練習風景を見る機会があって、そこでは86歳のおばあちゃんが踊りの振りつけを監督していた。彼女の前では踊り手の主だったリーダーたち4人が相談しながら振りをつけていたのだが、そのうち座っている彼女の左腕がチャント(唄い)にあわせて自然に動き出した。わたしは彼女の前で踊っている若い踊り手たちよりも、その彼女の腕と手の動きに目が釘付けになった。美しい。なんともいえぬ優雅な、まったく「我」をもたぬ透き通った美を、その一瞬の手の動きは表現していた。

アートは鑑賞者があって成り立つものだから、その彼女の手の動きを「美しい」と観る鑑賞者がいなければ、その美は継承されない。最近の若い踊り手や観衆の間では、より激しい動きの振りや受け狙いのパーフォーマンスが人気を呼び、また受ければどんどんその方向にエスカレートしていく傾向にある。「受ける」ということは、今の鑑賞者がそれを「評価」しているってことで、それは社会のムードの変化とも関係しているわけで、たとえば日本の能楽鑑賞を現代の日本人のすべてが関心をもって鑑賞できないのと一緒で、社会=ライフスタイルや価値観の変化とともに、美の基準も変わっていくのは、仕方のないことだ。ヤップでも、以前は絶対に見ることのできなかった男のエッチな踊りを、白昼堂々と女が最前列で見て笑い転げる時代だから、まっ、仕方ないか、とも思うけど、わたしとしては、おばあちゃんたちにあきらめないで、もっともっと長生きして自分たちが受け継いできたものを若い世代に引き継いでいって欲しいと思うのだ。

という訳で、ヤップの文化の基礎となっていた村落共同体の解体は、こんなところからもどんどん進んでいて、それはそれで仕方がないことで、これから新しい形の共同体システムと文化を創り上げていければいいのだが、日本を含めて地球上の多くの地域と同じく、解体だけで崩壊へと進んでいくプロセスを見続けるのは、悲しいことだ。

ところでわたしも観光業者の端くれだけど、ヤップの宣伝文句でよく見かける「伝統と文化の息づく太古の島ヤップ」なんてキャッチフレーズで安易にヤップを紹介することだけは、絶対にやってはならないなあ、と決意をあらたにするのだった。「マンタの楽園ヤップ」というのと同じようにね。こういう観光に関する「外圧=部外者の勝手な思い込みや都合による圧力」が、崩壊のキワにある地元の伝統(マンタの場合は水中環境)を、変な方向に捻じ曲げるからだ。何も事情を知らない観光客や外資の観光業者が、「オッパイ出した若い女の子がカラフルな衣装を着て跳ね回って踊るのが見たい」なんてリクエストすると、本来は静かに座って踊る踊りでも、「観光客に受けるから」っていうことで棒踊りに作り変えてしまうっていうようなことが、実際に起きているような時代だから。

Leave Yap and its culture alone!
ヤップのことはヤップの人たちにまかせましょう!


ヤップの旅の情報はこちらでどうぞ。
http://www.naturesway.fm/index2.html
by suyap | 2006-03-25 06:19 | ヤップの伝統文化
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