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ミクロネシアの小さな島・ヤップより

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ヤップの南洋神社・その1

今日のヤップはおおむね晴れて貿易風がかなり強かった。それなのにときどき厚い雨雲が風上のほうから押し寄せて、そのときだけサーッと雨が降る、いまいちスカッと晴れきらない空模様でもあった。

a0043520_23213255.jpg今回と次回でヤップの南洋神社の話をしよう。左の写真はヤップ神社の前で撮られたもので、1935年(昭和10年)頃か、もう少し後かもしれない。明治政府は内務省神社局というのを設置して、国策として多くの神社を公費で建てていった。明治維新という政権移譲を通して天皇を頂点とする「大日本帝国」が誕生した訳だけど、その頂点の人のハクをつけるために、天皇はアマテラスの直径の子孫ということにしてアマテラスや明治天皇を祭る神社を建て、それに強大な力と保護を与えて国家統治の精神的手段にしたのだ。それは占領地にもおよび、ミクロネシアでも日本人が多く暮していた島にはたいてい神社が建てられて、それらは「南洋神社」と呼ばれていた。

a0043520_23221080.jpgこれが、上の写真に近い位置から撮った今日の写真。ちょっと遠くて見えにくいけれど、石段や石の灯篭はそのまま残っている。階段のうえは、いまではヤップ州議会議場になっていて、階段の下は議員さんたちの駐車場だ。

a0043520_23224542.jpgそして今の鳥居がこれ。鳥居の前には赤十字のコンテナだの港湾局の車だのがあってうまく鳥居ぜんたいが写せないので、反対側(神社があった側)から撮った。この鳥居、おなじものに見えるけど、なんか変?そうです、これは1964年ころヤップ人によって建替えられたものなのだ。オリジナルは米軍の爆撃を生きのびて戦後もしばらくそのままだったのに、たぶん州議会議場を建てるということで、信託統治政府の土木課が壊してしまったのだそうだ。

ところがヤップの女性たちの間から猛烈な抗議があがった。それでヤップ人の腕の良い「大工」さんたちが集められて、また新しい鳥居が建てられたのだそうだ。戦後のヤップには1970年代に入るまで、日本人は誰もいなかった(厳密にはヤップ人と結婚された沖縄の女性がひとり住んでおられたが、この方のことはいずれまた書こうと思う)。だから、日本人が頼んだわけでも作り方を教えたわけでもないし、ヤップの人が日本の国家神道を信じていたわけでもないだろうに、ちょっと変でもこんな立派なものを建替えてくれたのは、いったいどういう理由からなのだろうか?


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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by suyap | 2006-01-27 23:39 | ヤップの近代史
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