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ミクロネシアの小さな島・ヤップより

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日本経由のイタリアン・スパゲティ

日本経由のイタリアン・スパゲティ_a0043520_19432010.jpgヤップで頑張る日本製品、久しぶりのエントリーです。いまお気に入りのスパゲッティCASALE DORATO、かなり長いこと、実はこれが日本からの輸入品とは気づかずに買っていました^^

ヤップには日清フーズさんのマ・マー スパゲティなど日本製スパゲティも入っているのですが、いまいちコシが...それに(まさか国産粉ではないでしょうけど)ベクレてるかもしれないし。いっぽうで安いアメリカ産イタリアン・スパゲティは、いまいちコクが...ない。その両方をそこそこ満たしてくれたのが、このCASALE DORATO $2.55(500g)でした。

日本経由のイタリアン・スパゲティ_a0043520_19433055.jpgゆで時間はしっかり8分、それでも日本製のようにクニャクニャにはならず、アメリカ製の安物のように太りすぎもせず、調理後に時間が経ってもコシが残っています。ヨシヨシ、品薄になるまえに買い占めておこう...(これって、ヤップで輸入品を買う場合には必須のテクニック。万一、品切れになると、いつその商品が入るかわかったものじゃないですから)。

そう決心するやいなや、財布の残金を確かめ勇んでBlue Lagoon商店に出向き、棚のスパゲティをショッピング・バスケに入れながら、ふと、初めてウラ書きをしっかり読んでみたのでした。うぎゃ~~~日本語が!

日本経由のイタリアン・スパゲティ_a0043520_19445795.jpg

イタリア製には違いなさそうですが、富山県の日本製麻株式会社が日本国内で輸入販売しているもののようです。それにしても、なんで「製麻」、つまり麻製のロープや袋を作っている会社がスパゲティを???経営者の中にイタリア大好き人がおられるのでしょうか?興味はつきません...そこでWiki先生にお伺いしてみると、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A3%BD%E9%BA%BB
食品事業も主力事業の一つで、1928年に、日本で初めての国産スパゲッティを製造した「ボルカノ」が、現在の日本製麻株式会社ボルカノ食品事業部である。
なななんと!?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3
1928年、日本で初めての国産スパゲッティ「ボルカノ」は兵庫県尼崎市南塚口町(現在のピッコロシアター)にあった高橋マカロニ(髙橋胖氏)によって製造された。この商品名は彼がイタリアでスパゲティに出会い、その時見たヴェスヴィオ火山からネーミングした。当時は「スパゲッチ」と称した。(現在は日本製麻株式会社ボルカノ食品事業部)
へえ~!!!

ところでこのCASALE DORATO、なんと日本国内では100円前後で売られているとか...円安のおかげか、ヤップに入って来る日本製品がやや値下がり気味で喜んでいましたが、実は決してお安くはないようですね。


最後に心配でしようがないヌッポン政治状況...本日は、わたしのツボにハマりまくった内田樹せんせの記事をご紹介しておきます。読みながら、パソコンの前で思わず「よお~し!」「そだそだ~」とひとり気炎を上げてました:

国旗国歌について
http://blog.tatsuru.com/2015/05/28_1617.php

全文を下にコピペさせてもらいました(いいよね?内田樹せんせ)
http://suyap.exblog.jp/21287926/#21287926_1

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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国立大学での国旗掲揚国歌斉唱を求める文科省の要請に対して、大学人として反対している。その理由が「わからない」という人が散見される(散見どころじゃないけど)。

同じことを何度もいうのも面倒なので、国旗国歌についての私の基本的な見解をまた掲げておく。
今から16年前、1999年に書かれたものである。私の意見はそのときと変わっていない。
国旗国歌法案が参院を通過した。

このような法的規制によって現代の若者たちに決定的に欠落している公共心を再建できるとは私はまったく思わない。すでに繰り返し指摘しているように、「公」という観念こそは戦後日本社会が半世紀かけて全力を尽くして破壊してきたものである。半世紀かけて国全体が壊してきたものをいまさら一編の法律条文でどうにかしようとするのはどだい無理なことだ。

ともあれ、遠からず、この立法化で勢いを得て騒ぎ出すお調子者が出てくるだろう。式典などで君が代に唱和しないものを指さして「出ていけ」とよばわったり、「声が小さい」と会衆をどなりつけたり、国旗への礼の角度が浅いと小学生をいたぶったりする愚か者が続々と出てくるだろう。

こういう頭の悪い人間に「他人をどなりつける大義名分」を与えるという一点で、私はこの法案は希代の悪法になる可能性があると思う。 

一世代上の人々ならよく覚えているだろうが、戦時中にまわりの人間の「愛国心」の度合いを自分勝手なものさしで計測して、おのれの意に添わない隣人を「非国民」よばわりしていたひとたちは、8月15日を境にして、一転「民主主義」の旗持ちになって、こんどはまわりの人間の「民主化」の度合いをあれこれを言い立てて、おのれの意に添わない隣人を「軍国主義者」よばわりした。こういうひとたちのやることは昔も今も変わらない。

私たちの世代には全共闘の「マルクス主義者」がいた。私はその渦中にいたのでよく覚えているが、他人の「革命的忠誠心」やら「革命的戦闘性」についてがたがたうるさいことを言って、自分勝手なものさしでひとを「プチブル急進主義者」よばわりしてこづきまわしたひとたちは、だいたいが中学高校生のころは生徒会長などしていて、校則違反の同級生をつかまえて「髪が肩に掛かっている」だの「ハイソックスの折り返しが少ない」だのとがたがた言っていた連中であった。その連中の多くは卒業前になると、彼らの恫喝に屈してこつこつと「プロレタリア的人格改造」に励んでいたうすのろの学友を置き去りにして、きれいに髪を切りそろえて、雪崩打つように官庁や大企業に就職してしまった。バブル経済のころ、やぐらの上で踊り回っていたのはこの世代のひとたちである。こういうひとたちのやることはいつでも変わらない。

いつでもなんらかの大義名分をかかげてひとを査定し、論争をふきかけ、こづきまわし、怒鳴りつけることが好きなひとたちがいる。彼らがいちばん好きなのは「公共性」という大義名分である。「公共性」という大義名分を掲げて騒ぐ人たちが(おそらくは本人たちも知らぬままに)ほんとうにしたがっているのは他人に対して圧倒的優位に立ち、反論のできない立場にいる人間に恫喝を加えることである。ねずみをいたぶる猫の立場になりたいのである。

私は絶対王政も軍国主義もスターリン主義もフェミニズムも全部嫌いだが、それはその「イズム」そのものの論理的不整合をとがめてそう言うのではない。それらの「イズム」が、その構造的必然として、小ずるい人間であればあるほど権力にアクセスしやすい体制を生み出すことが嫌いなのである。

正直に言って、日本が中国や太平洋で戦争をしたことについて、私はそれなりの歴史的必然があったと思う。その当時の国際関係のなかで、他に効果的な外交的なオプションがあったかどうか、私には分からない。たぶん生まれたばかりの近代国民国家が生き延びるためには戦争という手だてしかなかったのだろう。

しかし、それでも戦争遂行の過程で、国論を統一するために、国威を高めるために、お調子者のイデオローグたちが「滅私奉公」のイデオロギーをふりまわして、静かに暮らしているひとびとの私的領域に踏み込んで騒ぎ回ったことに対しては、私は嫌悪感以外のものを感じない。

小津安二郎の『秋刀魚の味』の中に、戦時中駆逐艦の艦長だった初老のサラリーマン(笠智衆)が、街で昔の乗組員だった修理工(加東大介)に出会って、トリスバーで一献傾ける場面がある。元水兵はバーの女の子に「軍艦マーチ」をリクエストして、雄壮なマーチをBGMに昔を懐かしむ。そして「あの戦争に勝っていたら、いまごろ艦長も私もニューヨークですよ」という酔客のSF的想像を語る。すると元艦長はにこやかに微笑みながら「いやあ、あれは負けてよかったよ」とつぶやく。それを聞いてきょとんとした元水兵はこう言う。「そうですかね。そういやそうですね。くだらない奴がえばらなくなっただけでも負けてよかったか。」

私はこの映画をはじめてみたとき、この言葉に衝撃を覚えた。戦争はときに不可避である。戦わなければ座して死ぬだけというときもあるだろう。それは、こどもにも分かる。けれども、その不可避の戦いの時運に乗じて、愛国の旗印を振り回し、国難の急なるを口実に、他人をどなりつけ、脅し、いたぶった人間がいたということ、それも非常にたくさんいたということ、その害悪は「敗戦」の悲惨よりもさらに大きいものだったという一人の戦中派のつぶやきは少年の私には意外だった。

その後、半世紀生きてきて、私はこの言葉の正しさを骨身にしみて知った。

国難に直面した国家のためであれ、搾取された階級のためであれ、踏みにじられた民族の誇りのためであれ、抑圧されたジェンダーの解放のためであれ、それらの戦いのすべては、それを口実に他人をどなりつけ、脅し、いたぶる人間を大量に生み出した。そしてそのことがもたらす人心の荒廃は、国難そのもの、搾取そのもの、抑圧そのものよりもときに有害である。

現代の若い人たちに「公」への配慮が欠如していることを私は認める。彼らに公共性の重要であることを教えるのは急務であるとも思う。しかし、おのれの私的な欲望充足のために、「公」の旗を振り回す者たち(戦後日本社会で声高に発言してきたのはほぼ全員がその種類の人間たちである)から若者たちが学ぶのは、そういう小ずるい生き方をすれば、他人をどなりつける側に回れるという最悪の教訓だけだと私は思う。

国旗国歌法によって日本社会はより悪くなるだろうと私は思う。だが、それは国旗や国歌のせいではない。
引用元:国旗国歌について
http://blog.tatsuru.com/2015/05/28_1617.php
by suyap | 2015-05-29 20:40 | ヤップで頑張る日本製品
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