ブログトップ | ログイン

ミクロネシアの小さな島・ヤップより

suyap.exblog.jp

負けを負けと認めることから始まる第一歩

ヤップはきょうも曇り空だけど、お天気がそんなに崩れるふうでもないので、ちょっと安心だ。

8月15日、日本ではいまだに「終戦」記念日なんて言っている人がいるが、正確には昭和天皇が「打ち方止め~」と国民に宣言した日。でもいったん戦争を始めたら、ひとつひとつの戦闘地域ごとに負け組の責任者が「負けました~もう抵抗はしませ~ん」と文書に署名するまで正式には戦闘は終わっていないわけで...そういう文書を英語ではInstrument of Surrenderつまり降伏文書と言う。
負けを負けと認めることから始まる第一歩_a0043520_11382645.jpg

上の写真は、1945年9月6日(一説では9月5日)に米駆逐艦ティルマン(Tillman)上で行われた、日本陸・海軍ヤップ島守備隊の降伏文書への調印式の模様だ(国立公文書館所蔵)。日本軍側からは江藤大八陸軍大佐(独立混成第49旅団長)、田中正道海軍大佐(第46警備隊司令)ほかの姿が見える。

それに先立ち同年9月2日に東京湾に入ってきた戦艦ミズーリ上で行われた降伏文書調印の日が、正式には日本国の「敗戦(降伏)記念日」なのですね。

きっこ ‏@kikko_no_blog

「敗戦」のことを「終戦」と教えられて育つと、「ミサイル」でなく「飛翔体」、「爆発」でなく「爆発的事象」、「冷温停止」でなく「冷温停止状態」、「脱原発」でなく「脱原発依存」などという玉虫色の表現が好きな大人になるようだ。
ほんとうに...降伏文書のことを停戦協定などと言い変えたり...こういう国家組織の上層で胡坐をかいているモノドモ(官僚らのことね)=真の戦争責任者ら=による言葉のゴマカシと、それに追従するメディアのプロパガンダによって、ほとんどの日本人が現実を見ようとせず虚構の中を生きてきた。だから尖閣や竹島で問題が起こされると、事の道筋もわからず右も左も上も下もファナティックに騒ぎ出す、意図を持った筋に踊らされているだけとも知らずに。
負けを負けと認めることから始まる第一歩_a0043520_7285686.jpg

さて67年前のヤップでは、あんなに激しくドンパチやっていたのに、ある日突然、敵(アメリカ)の大きな船がヤップに入ってきて、それに日本軍のエライさんがぞろぞろと乗りこみ、いきなり「もう喧嘩はやめ~」と宣言したものだから、ヤップの人たちは驚いた。

降伏の調印後、陸軍の士官らはコロニア近くのキャンプに収容された。ところが江藤大佐を含む上級仕官がフンドシの島民姿になって、世闇に紛れ、スパムやタバコなどのアメリカン・グッズをお土産に、戦前からヤップに在住していた英語もできるロシア人一家を訪れたという。その逸話をわたしが解釈するに、おそらく連合国側が進めていたヤップでの戦犯審査を有利にするためへのお願いだったのではあるまいか。しかしフンドシ姿の陸軍守備隊長がアメリカ煙草を両親に渡しているのを見たその家の子供(いまはおじいちゃんだけど)は戦後、「江藤はアメリカのスパイだったんだぞ!」と触れまわるようになった。もちろんアメリカ人はそういう話を聞くと嬉しがるしヤップ人もおもしろがるから、本人もますます得意気に話しつづける。しかし日本人までそれを鵜呑みにしている姿は滑稽だ。

負けを負けと認めることから始まる第一歩_a0043520_730273.jpg負けを負けと認めることから始まる第一歩_a0043520_7294690.jpg
もちろん江藤大佐はスパイではなかったし、防衛省資料編纂室に行けば、その帰還報告書を見ることもできる。また米軍がやって来る前の8月中に、江藤大佐はヤップ島産の石で「鎮魂の碑」を建立し、それが今も残っている(上写真左)。

さらに驚くべきことに、ヤップ島各地に駐屯していた部隊は、日本への本格的な引き上げが開始される1945年12月初旬まで解体されず、米国旗が初めて上がったのも、12月に入ってからだった。そのような中、同年11月頃から、日本軍兵士たちによってヤップ島のあちこちに「戦没勇士の碑」が建立されていった(上写真右と下両写真)。

負けを負けと認めることから始まる第一歩_a0043520_7293361.jpg負けを負けと認めることから始まる第一歩_a0043520_7301650.jpg
材料はセメントと石、当然、米軍の許可がないとできなかったであろう。現在でも3ヶ所の碑が残っている。

こういう風にスムーズにSurrender(降伏)し、戦後処理を進められたのは、やはり日本軍のヤップ島守備隊のリーダーたちがちゃんとしていたお陰だろう。戦中から彼らは日本の「負け戦」を正確に認識しており、江藤大佐は兵たちに、軍服を脱いでフンドシ一丁で島民と一緒になって食糧生産に励むことを奨励していた。
負けを負けと認めることから始まる第一歩_a0043520_7292114.jpg

そんな食糧生産作業(農耕と漁労)中、アメリカの戦闘機が「もう闘いは終わったよ」というビラをまき始め、多くの兵がそれを拾って読んだ。ヤップの守備隊司令部のほうも、ポツダム会談から宣言、日本による受諾という動きを正確に認識していたので、連合軍側からコンタクトを受けるとすぐに、上記のような意思表示を白い石を並べてしめした。WE ARE WAITING FOR THE ORDERS FROM PALAU. つまりヤップ島守備隊の上級部隊はパラオにあったから、その指示を待っているという意思表示だ。それらが上記9月6日の降伏文書調印へと繋がっていく。そんな流れでヤップ島の戦争は終わった。

最後に、今回の記事タイトルに沿うべくやや強引にまとめると、先がしっかり見えるリーダーがいるといないとで、群れ全体の生存の可否がずいぶん変わってくるということだ。そして何事においても、つらくてもまず現実をハッキリ認識することから、第一歩が始まるということも。

これって、今の日本とヤップの右往左往を、すごく象徴しているなあ...。不明のトップを抱えて、日本よ、ヤップよ、どこへ行く?


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
よろしかったら人気ブログランキング地域情報 & にほんブログ村海外生活ブログにクリックをお願いします。


ヤップのマンタ:
http://yaplog.jp/mantas/
ヤップ島あれこれ:
http://yaplog.jp/suyap/
ヤップ島の旅案内:
http://www.naturesway.fm/index2.html
by suyap | 2012-08-15 12:15 | ヤップと戦争
<< マングローブに抱かれて 大家さんの裏庭で >>