どんどん発達中の
台風4号グチョルは、フィリピンの北をゆっくりと沖縄方面に向かっている。ヤップ島では、風は東に変わったのに西側のうねりがまだ大きく、北西のミル・チャネル側では外洋にも出られず、濁った水路の中での3ダイブとなった。
ところで本日はコロニアのイベント広場(
ヤップ・リビング・ヒストリー・ミュージアムのことを、わたしはこう呼ぶことにした^^)で、第2回ホームカミング・デイという催しが行われていて、ダイビングから戻ったあと、その最後の踊りにかけつけることができた。
ホームカミング・デイというイベントは、ヤップ観光局の主導で去年から始まった催しで、「ヤップに以前住んでいた(外国の)人たちを呼んで、互いの歴史を学んで再びおつきあいしましょう...」ってな趣旨であるはず。そして第1回の去年は、「アメリカ人バージョン」だった。戦後からヤップに滞在したことのあるアメリカ人十数人が招待されて、なんだか同窓会もどきのような雰囲気だった。このイベントの言いだしっぺがアメリカ人の現観光局長だから、仕方ないか...と冷めた目で見ていたけれど(苦笑)。
そして今年は「チャモロ人バージョン」をやるという。しかし(いつものことながら)、当日の朝になるまでヤップのホテルやツアー会社には全くプログラムの説明もなく...。仕方がないので別ルートから、当日にはヤップの踊りが3つあるということを情報察知して、ダイビングのスケジュールを最後の踊りに間に合うように調整していた。まあイベントそのものについては、「どうせ<現>観光局のやることだから」と、たいして期待していないわけだ(再び苦笑)。
ただひとつ、わたしが見たかったのは、チャモロ人がヤップにいた時代の写真展示だった。だから後片付けを急いで終わらせ、最後の踊りが始まる頃になんとか駆けつけることができた。そして踊り手には申し訳なかったけれど、踊りの最中に、わたしは写真が展示してあったテントの中で、せっせとデジカメにデータを入れていたのだった。
展示はおそらくチャモロ人の子孫らから借り受けた写真や、どっかの本からひっぱてきた写真を集めたのだろうけれど、そのどれもに、まったく出典が記載されていなかった。しかも「なぜ、グアムやロタ・テニアン・サイパン原住民のチャモロ族がヤップに住むようになったのか」とか、「ヤップ人とのかかわりはどんなものだったのか」とか、「なぜ、太平洋戦争後、追われるようにヤップを去らねばならなかったのか」とか、「彼らとヤップ人とのいまだに続く土地所有問題」とかに、ま~ったく触れない解説文!いったい、これは何なのよ(怒)。
問題意識を持たない歴史観は、人類および地球上生命に害悪である(キリッ)
というわけで、上から2番めの写真は、展示された写真の中のひとつで、1880年代ころのコロニア湾のスケッチらしい。わたしもどこかでこの画を見た覚えがあるのだけれど、出典が明記されてないし、今すぐにはワカリマセン。タラン島、パケル島が見えるから、絵描きさんの位置は、おそらく現ヤップ病院の海岸からの眺めではないかと思う。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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