ようやく...旗艦の帆が、高々と上がりました~~~!
といっても今回はヤップのカヌーのことじゃなくて、沈みかけたニホンのお舟のことですけど。タイトルのグランマ号がなんのことだかわかない人は、グランマ号、キューバあたりで検索してみてね。
それにしても...この期に及んで、
小沢さん、あそこまで司法に立ち向かった発言したりして、これじゃ裁判には不利だよね~
なんて言ってるのは、生まれてこのかた一度も信念を賭けて喧嘩をしたことのない、つまり
クソのような人生を送っている方々なんでしょうなあ。だって物理的な戦力に勝る喧嘩相手の陣地に入り込んで正面突破やろうったって、結局、向こうに都合の良いようにあしらわれるだけ...つまり、「敗け」るってこと。もう日本では公正な裁判など望めないってことは、先月の小沢秘書裁判でも証明済みでしょうが?
(↓いま花盛りのオオゴチョウ↓)
かつて旧郵政省と壮絶な戦いをしたという
世川行介さんが、こんなこと書いています:
敗けないこと
http://blog.goo.ne.jp/segawakousuke/e/683463da57d0c03aa9819baec39c1f4c
国家権力と闘う時には、「国家権力に勝とう」などと考えては間違う、と思ってきた。
所詮は他人のやる闘いだから、闘争気分だけ旺盛で国家認識の甘い人たちは、「勝て! 勝て!」とわめくだろうが、そんなのは、大間違いのコンコンチキだ。
国家権力に勝てる国民など、この世の何処にもいやしない。
国家権力と闘う時は、「敗けないこと」、それだけを肝に銘じて闘うべきなのだ。
つまり「勝つ」という幻想に逃げ込まず、現実を辛抱強く耐えて抜きながら、じわじわと味方を増やすゲリラ的持久戦。それを今まで小沢サンはひとりでやってきたんだから、そりゃ身体のあちこちに石くらいできるだろうよ...ともかく、石で済んで良かった...お大事に。
ところで
世川行介さんは、もうひとつ、良いことを提案しています:
激励デモ
http://blog.goo.ne.jp/segawakousuke/e/92010b01315549d463ba338b7af8e358
小沢一郎のためのデモを、これからは、「他に対する抗議糾弾」でやるのではなく、「激励デモ」とでも言えばいいのか、「小沢一郎さん。負けるな」
「小沢一郎さん。頑張れ」
「小沢一郎さん。私たちがここにいる」
といった形でやった方が、それを見る第三者の人たちの心は和むのではなかろうか、という風に思うに至った。
ときどき、「小沢さんも、わたしたちと一緒にデモの先頭に立ってください」なんて、お気楽な発言をする人がいるが、
と~んでもない。あのレーニンだって暗殺されかけたのだよ(実際に彼はその後遺症が元で亡くなった)。今の小沢さんをめぐる状況は、1917年のロシアに勝るとも劣らぬほど切迫していることを肝に銘ずべし。こういう類の方々もやはり、生まれてこのかた一度も信念を賭けた喧嘩をせずとも済む境涯を選んだがゆえに想像力すら身につけ損ね、なんというか...やはり
クソのような人生を過ごしているのだろうなあ。
そういう人々にわかってほしいのは、正当な信念を賭けた喧嘩を避けてはいけないっていうこと、そして、その喧嘩を生き延びるには戦略(今流行の横文字でいうとストラテジー)が必須なのだということ。今の状況でいえば、旗艦の船橋にどっしり座乗して戦いの趨勢をにらみながら、常に最良の作戦を図って戦陣の総指揮を取るのが、総大将としての小沢さんの務めであり、その大将に思う存分「やる気」を出させるのが、乗組員としてのわれわれの務め。さらに
信頼できるわれらが仲間を嗅ぎ分け、リクルートすることも視野に入れたい。
その「仲間嗅ぎ分け」のための「踏み絵」は、シンプルかつ答をごまかしようのない項目に限ること。「改憲の是非」などという、条件次第で答が真反対に変わるようなものを踏ませるべからず。それによって長期的将来をマジメに考えている者がふるい落とされ、現行憲法が日米安保体制とペアで成り立っていることも理解できないようなお花畑脳が紛れ込む可能性を避けよ。まあ即改憲なぞと騒いでいるような大馬鹿は、あらかじめ排除するとしても。
<次回総選挙に向けた候補者の踏み絵>
賛成 反対
脱原発:
〇 ×
増税: ×
〇
TPP: ×
〇
来年早々にも起こりそうな関が原の合戦(解散総選挙)に向け、われら草の者は手分けして、今から上記項目を徹底調査、分析すべし~~~!(ルンルン♪)
最後に、この歴史に残る小沢さんの宣戦布告を、「全文」としながら大手メディアはどこも改ざんだらけで載せており、その改ざんされたテキストがまたコピペコピペでブログ間を出回っているので、自ら起こしたテキストを下に保存しておいた:
〇
小沢元代表の10月06日意見陳述全文
http://suyap.exblog.jp/13771403/#13771403_1
テキスト起こしはこちらの動画から:
〇
111006 小沢一郎議員会見
http://www.ustream.tv/recorded/17707580
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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小沢元民主党代表の10月06日初公判 意見陳述全文
裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士による起訴状に対し、私の見解を申し上げます。
指定弁護士の主張は、検察の不当・違法な捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくものに過ぎず、この裁判は直ちに打ち切るべきであると考えます。百歩譲って裁判を続けるにしても、私が罪に問われる理由はまったくありません。
本件では政治資金収支報告書に間違った記載をした事実はなく、したがって、政治資金規正法の言う虚偽記載に当たる事実はありません。ましてや私が虚偽記載について共謀したことは断じてありません。
また本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民から何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を乱用し、議会制民主政治を踏みにじったという意味において、日本憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。以下にその理由を申し上げます。
そもそも政治資金規正法は、収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、自分で発見したものであれ、マスメディアやあるいは他党の人など第三者から指摘されたものであれ、その政治団体の会計責任者が総務省あるいは都道府県選管に自主申告して収支報告書を修正するということが大前提であります。
贈収賄、脱税、横領など実質的犯罪を伴わないものについて、検察や警察が報告の間違いや不適切な記載を理由に捜査するということになりますと、議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害する可能性が出て参ります。そしてそれは、ひいては国民の主権を侵害するおそれがあるからであります。
だからこそ政治資金規正法が制定されて以来、今日に至るまで何百件、何千件と数え切れないほどの報告間違いや不適切な記載があっても、実質的犯罪を伴わないものは、検察の言う単純な虚偽記載も含めて例外なくすべて、収支報告書を修正することで処理されてまいりました。
私の資金管理団体、陸山会のいわゆる虚偽記載事件が立件されたあとも、本日ただ今も、そのような処理で済まされております。
それにも関わらず、唯一私と私の資金管理団体、政治団体、政党支部だけが一昨年3月以来1年有余にわたり、実質的犯罪を犯したという証拠は何もないにもかかわらず、東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。
もちろん、私は収賄、脱税、背任、横領等、実質的犯罪はまったく行っていません。それなのに、なぜ私のケースだけが単純な虚偽記載の疑いで何の説明もなく、突然現行法の精神と原則を無視して、強制捜査を受けなければならないのか。これではとうてい公正で厳正な法の執行とは言えません。
したがってこの事例においては、少なくとも実質的犯罪はないと判明した時点で捜査を終結すべきだったと思います。それなのに、一昨年春の西松事件による強制捜査、昨年初めの陸山会事件による強制捜査など、延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸していると思います。
この捜査はまさに検察という国家権力機関が政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の乱用であり、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為であります。
実際、日本外国特派員協会の会長でもあった、オランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で、「小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、『人物破壊』は、世界的に類を見ない」と言っています。「人物破壊」とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺、アサシネーションであり、生命を奪う殺人以上に残酷な暴力だと思います。
それ以上に、本件で特に許せないのは、主権者たる国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒とく、侵害したことであります。
一昨年の衆議院総選挙の直前に、何の証拠もないのに検察当局は捜査・逮捕権という国家権力を乱用して、いきなり野党第一党の代表である私を狙って強制捜査を開始したのであります。
衆議院総選挙は、国民がみずから主権を行使して、直接、政権を選択することのできる唯一の機会にほかなりません。とりわけ、2年前の総選挙は、各種世論調査でも戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分に予想された特別なものでありました。
そのようなときに、総選挙の行方を左右しかねない恣意的な権力の行使が許されるとするならば、日本はもはや民主主義国家とは言えません。
議会制民主主義とは、主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が、自由な意思により、その良心と見識に基づいて、国民の負託に応え、国民に奉仕する政治であります。国家権力の介入を恐れて、常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治は、もはや民主主義ではありません。
日本は戦前、行政官僚、軍人官僚、検察・警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。その結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でありました。昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。
東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、福島第一原子力発電所の事故は安全な収束への目途すら立たず、加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている時に、これ以上政治の混迷が深まれば、国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、社会の混乱は一層激化して、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。
そうした悲劇を回避するためには、まず国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外に方法はありません。
まだ間に合う、私はそう思います。
裁判長はじめ裁判官の皆様の見識あるご判断をお願い申し上げ私の陳述を終えます。ありがとうございました。