少し前になるが、9月4日の日曜日、ヤップのカソリック教会の大きなミサが、コロニアのコミュニティ・センターで行われた。それは、ヤップに初めてキリスト教会(カソリック)が出来て今年で125周年になるのと、ヤップ人として初めての司祭となったA神父さんの命日と、今年から新設されたカソリック高校(セントメリー・ハイスクール)の門出を祝っての催しだった。
ヤップのキリスト教布教の歴史:
セント・ジョセフ教会の壁画
http://suyap.exblog.jp/12553694/
ヤップに9つあるカトリック教会合同のミサから始まって、お祝いのスピーチや、歴代の宣教団代表のスピーチや、各教会の出し物(寸劇やコーラスなど)が延々と続き、ヤップの伝統踊りも3つ奉納されることになっていた。信者ではないわたしは、場所が近いのを良いことに、行ったり来たりで伝統踊り(だけ)を見る魂胆だったが、やはり神様の罰が当たったのか、一番期待していた、Tおばあちゃん指導のティヨール(口開けの踊り)を見そびれてしまった。
幸いその後の2つの踊り、ルムングの女の子たちの座り踊り(プルブット)と、ガギルの若者たちの棒踊り(ガメル)は全部をちゃんと見れてビデオに撮ることができ、後で踊り手の関係者にDVDにしてあげることもできた。今回はその2つの踊りのうち、「
ファティマの聖母マリア様(Maria u Fatima)」というルムングの座り踊りをご紹介しよう。
ところでキリスト教会のためのパーフォーマンスといえども、いまだにヤップでは嫌らしいチチバンドなんかしないのが良いところで、踊りのストーリーやテーマはキリスト教にちなんだものになってはいるが、あとは純然たる伝統の踊りを継承している。ルムングの踊り手たちが準備している場所の近くでわたしも待っていたのだけど、着付けが終わって出番を待つ間、お師匠さんの合図の元に、全員が黙想しはじめたのには感動した。あとで聞くと、この「
ファティマの聖母マリア様」では、練習のときも必ず聖母マリア様にお祈りをしてから始めるのだそうだ。
1917年、ポルトガルの小さな町ファティマ(あるいはファチマ)に出現し、幼い3人の子供にメッセージを伝えた聖母マリア様の話は、カソリック教徒なら誰でも知っている有名な話だそうだが、わたしは数年前にこの踊りを初めて見るまで知らなかった。ググッてみると、なんとバチカンの奥に巣くうナンタラカンタラにもつながっていそうな、いまだに何やら深~い事情がありそうな話なのだ。それに関してたいへん内容の濃いサイトを見つけたのでリンクしておこう(わたし自身もまだ全部は読みきれてないのだけれど、しかし興味は尽きないなあ...):
↓トップページ↓
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マリア様のページ
http://www.d-b.ne.jp/mikami/maria.htm
↓初期の経緯はこちらから↓
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ファチマの真実(1)
http://www.d-b.ne.jp/mikami/fatima1.htm
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ファチマの真実(2)
http://www.d-b.ne.jp/mikami/fatima2.htm#17
〇
ファチマの真実(3)
http://www.d-b.ne.jp/mikami/fatima3.htm
ファティマでの聖母マリアの出現を宇宙人の仕業だという説もあるけれど、2001年の9.11を経験した今となっては、
なんらかの野外映像効果やメディアを巧妙に使った大衆催眠、壮大なマインド・コントロールであった疑いも捨てきれないし。100年近く経った今も(なおさら)、どんどん地球を破滅に追い込んでいる
アッチの勢力とバチカンの関係は昔から多く取り沙汰されているし、1917年はレーニンが封印列車でペトログラードに送られてボルシェビキ革命が起こった年で、スペイン風邪が不思議な流行をして、アスピリンの使用でものすごい死者を出していた。タミフルなんたらとか、怪しい子宮頸がんワクチンを強制される今と似ている感あり...。
ちなみに「
分断して統治せよ」(あるいは漁夫の利を得よ)というのが
アッチの勢力の常套手段だから、明治維新も、共産革命も、ナチス台頭も、第1次&第2次世界大戦も、イスラエルの誕生も、そして今どきの〇〇カラー革命も...みんなヤツラの仕業。ま、その
アッチの勢力の本体は爬虫類顔の宇宙人だっていう説もありますけど(笑)、とても一筋縄ではいかない方々であることだけは確か。ここはやはり、「善」の側のなんらかの意思が、ファティマで聖母マリア様の形をもって出現なされて、地球人類に警告を与えてくださったのかもと、素直に考えておきましょうか?!
↓そしてバチカンがいまだに明かそうとしないこととは...?↓
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ファチマ・クルーセイダー/ファチマのシスター・ルチアとの真正の預言的インタビュー
http://www.d-b.ne.jp/mikami/fc7917.htm
1917年に聖母マリア様と対話した3人の子供のうち、2人はすぐに亡くなり、ひとりだけ97歳まで生きたのがシスター・ルシア(ルチア)、彼女に託された聖母マリア様の3つの予言のうち、1960年以降に公表すべしといわれた第3の予言は、いまだにバチカンによって隠されている...のかも。
私たちは教皇様の側でローマから償いをするようにという世界に対する訴えを待つべきではありません。また私たちは私たちの司教区において私たちの司教様から、あるいは修道会から来る償いへの呼びかけを待つべきではありません。そうではありません!われらの主はすでに非常にしばしばこれらの手段をお用いになりました。そして世界は注意を払いませんでした。だからこそ、今私たち一人ひとりにとって自分自身を霊的に改革し始めることが必要なのです。各人は単に自分自身の霊魂を救わなければならないだけでなく、また神が私たちの道に置き給うたすべての霊魂たちを助けなければなりません。
悪魔は私たちの気を散らせ、私たちから祈りに対する愛を取り去るために力の及ぶ限りあらゆることをします。私たちは一緒に救われるか、それとも一緒に地獄に落とされるか、でしょう。(1957年フエンテス神父との最後の会談で)
第3の予言が「核」の誇示による「冷戦」だったのか、その後に続く「テロとの戦い」だったのか、いやいやそれでも終わらない「核」そのもの(原発)による人類滅亡への予告だったのか...。3.11を経験したあとでは、ファティマの聖母マリア様出現の話が、やけに現実感をもって迫ってくる。2001年の9.11とそれに続くアメリカの暴挙を見たあと2005年に亡くなるまで、シスター・ルシアは何を思われ、祈っておられたのだろうか。
ヤップのカソリックの本山は、19世紀末にコロニアに建てられたセント・メリー教会(つまり聖母マリア様を奉る教会)で、そのせいか、ヤップのカソリック信者の間では聖母マリア様への思慕が強いのかもしれない。もう20年位前に、沖縄のシャーマンという方をヤップ島の最高峰(といっても178メートルの丘だけど)にご案内したとき、彼がそこで島の神々様に祝詞を捧げていると、一番に出てきたのが聖母マリアだったとか。キリストさんはその後ろで恥ずかしそうに控え、ムー大陸の神官は、その気配はあるのだけど、姿は現さなかったと。
まあそんな事情で、ルムングの若い踊り手たちが実際になにを思って/感じて踊っているかはわからないけれど、ファティマに出現した聖母マリア様の話は、100年近く経ったヤップでも語り伝えられているのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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