北緯9度に位置するヤップでは、いってみれば1年中「夏」が続いているようなものである
(それでも日陰では日本の夏より涼しいし、長く住めばそれなりの「季節」の移ろいも感じられるようになるけれど)。だから、ボーっとしたり、あるいはバタバタ忙しくして過ごしていると、カレンダーの日付どころか自分の誕生日すらも忘れてしまいがち
(誕生日については意図的な面もあり)…。そんな体たらくなので、今年の8月6日は、当日の朝になって、しかもどなたかのブログでようやく気づいたような始末、いやはや、とんだ「広島人」だなあ(恥)。
それでも8月6日となれば、思い入れはたくさんあって、とくにフクシマを経験した今となっては、あり過ぎてなかなか思うように記事が書けない。え~い、こうなったら長崎の8月9日と一緒に何か書こう...と悶々としているうちに、とうとう翌日になってしまった。
↑1945年8月6日午前8時15分、広島市の上空より米軍空撮↑
↑あの瞬間↑から、すべてが終わり、変わり、そして始まったわけだ。
今年の8月6日、みなさまのNHKで、「
原爆投下 活かされなかった極秘情報」という番組が放映されたという。いわく陸軍の諜報機関「特種情報部」では、特殊任務を帯びて飛来するB29を察知していたと...その目的が「原爆」投下であったことを8月6日の時点ではわからなかったにせよ、その3日後、長崎に向かう機まで捉えていながら、軍部はなぜ...?
↑左:原爆投下前の広島産業奨励館、爆心地から160m。↑右:現在の姿(いわゆる「原爆ドーム」)
しかし...である。やはりみなさまのNHKはそこで終わっちゃった。「なんで今この時期に?それに、やるんならもっと全部出せよ」と思っちゃうけど、その裏の真相を掘り下げるには、次のブログ記事(コメントもね)も合わせてお読みいただくといいかも:
〇
移ろうままに:「原爆投下 活かされなかった極秘情報」
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2011-08-08
〇
移ろうままに:鬼塚英昭著『原爆の秘密』を読んで
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2008-09-15
〇
Apes! Not Monkeys!:「原爆投下 活かされなかった極秘情報」と堀栄三の回想
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20110808/p2
あれから66年経って、われわれは再び、↓この悪夢のような現実↓に直面しているわけである。
↑2011年3月14日、「水蒸気爆発」を起こして噴煙を上げる東京電力福島第1原子力発電所3号機↑
↑このまっ黒なキノコ雲↑を見せてなお、
ただちに影響はありません...って?噴き上げられて拡散しているのが、「水蒸気」だけじゃないってこと、子供にもわかるよね。ヤツラも隠しとおせるとは思っちゃいないだろうけど、ようやく
やっぱりウソだったんだね~♪と、「ほんとうのこと」がじわじわと知れてきている。しかし...「広島人」のわたしの中では、ここんとこ、ず~っと居心地の悪さ、薄気味の悪さが続いていて…。
↑こんなになっちゃった原子炉を見せつけられながら、そして、すでに広島の原爆30個分近い放射性物質がバラまかれたって聞かされながら、
いったい何なんだ、この静けさは? それでも、その違和感を伝える適切な言葉が、なかなか見つからない。そんな折、中学校の同級生からメイルをもらったので、思いきってセミ古典的な(笑)広島弁で、そんな気持を書いてみた:
うちらの年代の広島人には「あたりまえの常識」じゃった内部被曝の存在を、あんまりにもようけ(多く)の日本人が、「いま初めて知った」と言うとってのには、ほんまにたまげとるんよ(驚いている)。それと同時に、いつ出るか、もしかしたら出んかもわからん内部被曝の「健康への影響」が、ヒバクシャにはずぅっとついてまわるんじゃいうことを、無意識にしても受け入れて(ざるをえず)育ったはずのうちら広島人の声が、フクシマがここまできとるのに、あんまり大きく聞こえてこんのも、けっこうたまげとるんよ。いったい広島じゃ、どーなっとりますかいの?
口ばかりで何の具体行動を示さないカイワレ・デモンストレーター缶から菅首相はともかく、フクシマ後初の「原爆の日」記念式典だというのに、広島市長も、長崎市長も、ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキをいう「革新団体」ですら、「脱」原発をまったく打ち出さなかった。
この期に及んでなおこの体たらくの彼らには、もはやこの世の絶滅システムを変えていくことはできない。核兵器の製造と実験が、原発の製造と運転と、表裏一体であることを極めないで、どうして核拡散禁止が言えようか?
←66年前の8月6日午前8時15分から時を刻むのを止めた時計
この時計とともに、時を止められた、あるいは流れを変えざるをえなかった、多くの命、人生、そして地球。それと同じく、66年後の3月11日を境に、あまりにも多くの命が失われ、その後の生き方が変わらざるを得なくなり、日本の国土どころか、地球全体の景色(環境)までもが変わってきている現実。
それでも命の続いている限り、われわれ地球上の生命はこの環境で生きるしかないし、生き抜いて生を繋ぐことが、また新たな生きがいにもなる。これが「終わり」なのではなく、これからが「始まり」なのだ。被曝2世モドキ
(原爆投下直後に市内に入り2次被曝しているはずの父親は、何を思ってか、被曝手帳を申請しなかった※)のわたしが言うとるのだから、ちいとは聞いてみてつかぁさい。元気を出して、生きて生きて生き抜いて、
奴らの息の根をぜったい止めたるんじゃけ!と、心をしっかり決めてかかりゃ、新しい希望や喜びも沸いてくるがの。
だから、
きょうも元気に乳酸菌!なんですぅ…^^
※中年過ぎから糖尿と心臓病を患いながらも81歳まで生きた父親が、なぜ被曝手帳を申請しなかったのかは謎だけど、もしかしたら将来産まれてくる子供らのことを考えたのかもしれない…と、今ごろになって思い始めた。それでも高校3年のとき、ダイエットのし過ぎで授業中に貧血を起こして倒れたわたしが運び込まれたのは、広島日赤病院の「原爆病棟」だった。もちろん原因はダイエットとわかって、栄養士の先生にしこたま怒られたけどね。広島というのは、そういう土地です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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