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ミクロネシアの小さな島・ヤップより

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踊り上げな(先)週末-オカウ村

また間が空いてしまいました、いやはや...。実は踊り上げな週末から、はや一週間経過、遅くなりましたが、とりあえず2日目のオカウ村のイベントを書いておきます。

前日のソル村に続いて、日曜日はオカウ村でも盛大な踊り上げが行われた。
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12時からスタートと聞いていたけれど、最初はフラとかディスコとか、子供たちのモダン・ヤッピーズ・ダンスの出番らしいので、同行するTおばあちゃんと相談して、少し時間をずらし午後3時頃に到着したら、わたしたちが見たかった踊りのひとつ、オカウ村に古くから伝わる女の座り踊り、タラログが、ちょうど終わったところだった。

その後にも2つの棒踊り(ガメル-gamel')と行進踊り(マアス-maas)が続き、最後に、これもまた大昔から伝わる男の踊り、トトモイがあるので、まだ踊りはたくさん見られるのだけど、Tおばあちゃんとわたしはタラログを見るのが楽しみのひとつだったので、かなり残念だったのだ...。

それはともかく、上下ふたつの写真は、棒(ヤップの場合は竹が使われる)を持って激しく動きまわるガメルというタイプの踊りで、もともとはヤップ島の東のほうの島々(離島)から伝わった、男たちの戦いの踊り(棒術踊り)だった。それがヤップでは、なぜか女もガメルを踊るようになり、果ては男女混合で踊るガメルまで出てきた。しかしそれはそんなに古い時代ではないようで、厳格な人は、いまだにガメルをヤップの伝統踊り(チュル-churuq)とは認めない。
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ヤップでガメルが広まったのには、どうやら日本の統治も影響しているらしい。座り踊り(プルブット-pul but')など、ヤップに古くから伝わる踊りは非常に地味で、謡の言葉や所作の意味がわからない人(=外国人)にとっては退屈きわまりない。そこで外国人(当時は日本人)に好まれる、動きの激しいガメルを踊る機会が、だんだんと増えていったのかもしれない。その傾向は今も続いており、本来は座り踊りなのに、わざわざガメルの振りに作りなおしたものもある。

また日本統治時代の公学校(島民のための小学校)は男女共学とされたので、本来は男の踊り、女の踊りときっちり分かれていているヤップの踊りを、学校の中では男女混合で躍らせるということも始まった。そういう日本統治下の学校教育の影響を受けて広まったのが、ガメルマアス(写真下)だった。
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そもそもマアスという名は「マーチ」から来ており、その歌詞にも、ドイツ語、日本語、英語、それにミクロネシア中の島の言葉が混ぜこぜになっている。ミクロネシアを日本が統治していた時代、パラオには南洋庁が置かれ、アンガウルのリン鉱石採掘場のワーカーとして、あるいはコロールの「木工学校」の生徒として、東はマーシャル諸島から、コスラエ・ポンペイ・チューク・ヤップ、そしてもちろんパラオの島々からも、たくさんの若者(男)が集められていた。そういう若者たちの間で、おそらくマーシャルあたりの行進踊りをベースに、各島の言葉や歌やしぐさが混じりあい、のちにヤップではマアスとなって伝わる踊りの原型が出来上がっていったようだ。1920年代の後半ころになると、それらは若者たちの生まれ島にも広く伝たわるようになり、それぞれの島で独特な変化をとげながら定着していった。東京都小笠原村の南洋踊りも、実はそうして伝わった踊りのひとつだったようだ。
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ヤップ島のマアスには、歌詞やメロディのパターンが何種類もあって、それらを好き好きに繋げたり、アドリブでセリフを入れたりして作られる。今回の「踊り上げ」のマアスは、オカウ村も校区に入るバヤル小学校の卒業式で踊られたものなので、「サヨナラ、イヤイヤ」(日本語)とか、We don't wanna say good-by but just say good-by(英語)とかのセリフが繰り返されていた。またヤップのマアスに必ず入る「マスタイロン」という掛け声は、小笠原の南洋踊りでも聞くことができる。

遅刻して午後3時過ぎから見ていたオカウ村の踊り上げは、そのあと3つ目の踊りが終わったころには、もう日が暮れ始めていた。そして午後の7時をまわって、ようやくお目当ての男の踊り、トトモイの入場となった。
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それから続く踊り手たちへの「鳥の餌」セレモニーも長蛇の列となり、正装で貝貨を捧げまわる各方面のエライさんや、感極まって(?)孫に抱きついているおばあちゃんなど、たくさんの人がいろんな「鳥の餌」を持って登場し、ビデオをまわしながら見ていても楽しかったけど、わたしのところにも、またパンやキャンディやラバラバが2枚も「飛んで」きた。あれっ、Pくんの足元にはビールがいっぱい来てる!(笑)。
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さあ、いよいよ踊りの始まりだ。このトトモイは、今は住人がひとりもいなくなったアログ村に伝わってきた踊りで、そのストーリーから、英語では「ゴースト・ダンス」と紹介されている。

昔々、アログ村に、重い皮膚病を患うタマンという男がいて、ひとりで集会場(ペバイ)に寝泊りしていたが、夜毎に踊りの練習に通う人々を見ているうち、いつのまにか一緒に仲間に加わるようになった。やがて踊りが完成に近づいて、翌日の夜には検分式(Thuum' Buw)が行われるというので、昼間、集会場を訪ねてきた家族に、踊り用の衣装を用意するように頼むと、病気で歩けないのに何を言う?と笑われた。
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仕方ないので、夜になってやってきた人々に事情を話して衣装をそろえてもらい、それから検分式が夜通し行われたが、それはそれは素晴らしいものだった。男たちは夜を徹して踊り明かし、タマンも夢中になって踊っていた。そして白々と夜が明け始めたとき、ふと気づくと、まわりの人影はすべて消えうせ、なんとタマンは、集会場の前の巨大なガジュマルの木の天辺あたりに、ぶら下がっている自分を発見したのだった。

やがて近くを通りがかった村人は、踊りの正装姿のタマンが大きなガジュマルの木にぶら下がっているのを見て驚いたが、助け降ろしてみると、なんと歩けなかったタマンがスタスタと歩き始め、今習ってきたばかりの踊りを教えると言い張るので、なおさらに驚いた。
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タマンが夜な夜な「ガジュマルの木の精霊」たちから教わった踊り、トトモイは、こうしてタマンを通してアログ村の人々に伝えられて、今に至っているのだった...。とまあ、すごく端折ってるけど、だいたいこんな感じのストーリーだ。

踊りの動きとしては、前日に見たガプンゲクのような緩やかな動きと、やや動的な部分がミックスされている感じ。とっぷりと日の暮れた中、ほの暗い電灯の下で、たまたまわたしの目の前にいたPくんは、すごく「気」が入っていたみたいで、しなやかに木の精霊踊りを舞っていて、なかなか良かった。
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午後9時近くなった帰り道、Tおばあちゃんに感想を聞いてみたら、やはり...。「昔はねえ、もっと良かったんだよ。今の踊りは声も出てないし、動きも粗いし、駄目だねえ」

わたしも淋しいけれど、この時代の変化、もう、どうしようもないのかもしれないね、Tおばあちゃん。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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by suyap | 2011-07-03 12:10 | ヤップの伝統文化
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