きのうの願いもむなしく、きょうは雲が厚くときおり雨のパラつくお天気となった。外回りの急ぎの用事もないので、
ハワイ大学のEast-West Centerが発行するPACIFIC ISLANDS REPORTをのんびり読んでいたら、サイパン島のある北マリアナ諸島で、上級裁判所のアメリカ人陪席判事が被告人に「アディオス・ムチャーチョ」と言ったために、当該裁判所から公然とお叱りと罰を喰らったと出ていた。
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CNMI JUDGE CENSURED, ORDERED TO LEARN ETHICS
Govendo’s ‘Adios muchacho’ quip crossed line
http://pidp.eastwestcenter.org/pireport/2010/December/12-03-04.htm
これだけじゃ、いまいちピンと来ないので検索したら、フィリピンのネットニュースが引っかかった;
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Saipan judge apologizes to Filipinos for adios muchacho remark
http://mabuhaycity.com/forums/pinoys-abroad/12913-saipan-judge-apologizes-filipinos-adios-muchacho-remark.html
アディオス・ムチャーチョといえば、有名なタンゴ、
アディオス・ムチャーチョスを思い浮かべる人も多いだろう。
日本語のWikiでも、(アディオス・ムチャーチョスは)、
「さらば友よ」という意味であるとしているが、実はこれが、哀れなアメリカ人判事の間違いの元でもあったのだ。スペイン語で「友」といえば、アミーゴでしょってことくらい、わたしだって知っている。
友人のフィリピーナに、
ムチャーチョってどういう意味?って聞くと、即座に、
家の下働きをする使用人のことよ、女だとムチャーチャねだって。
スペインの支配を受けたフィリピン人やチャモロ人(グアムやサイパンの先住民)の間では、支配者の白人が現地の使用人を呼ぶときに使われた経緯から、この言葉で呼ばれると、とっても蔑まれた印象を受けるようになった。「アディオス・ムチャーチョ」はさしずめ、昭和初期頃までの日本だと、
オイ、そこのボーイ、あっち行け!とでもなるのかな?(笑)
タンゴのアディオス・ムチャーチョスの歌詞も、死期を覚悟した常連客が、思い出の酒場で最期の別れをする情景だ。飛行機事故で亡くなった
カルロス・ガルデルの歌と歌詞をどうぞ:
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To Do Tango:Adiós muchachos
http://www.todotango.com/spanish/las_obras/grabacion.aspx?id=1313
わたしはスペイン語はちっともわからないけど、エキサイト翻訳の助けを借りて歌詞を想像してみるに、やはりmuchachosを「友」とするのは、無理があると思う。韻をふんでmuchachadaとなっているムチャーチャもムチャーチョスも、酒場の従業員への呼びかけって感じ... compañeros de mi vidaや、a mi madre y a mi novia también(我が母と女友達にも)や、y al darles, mis amigos(親愛なる我が友へ)とは同格でないと感じる。それでも当時の階級社会では、アタリマエな言葉遣いだったのだろう。
で、話を
サイパンのアメリカ人判事に戻すと、彼は80年代の初め頃から独立前のサイパンに住みつき、チャモロの名家の娘と結婚した。
日本による低レベル放射性廃棄物の海洋投棄計画に反対するグリーンピースの一行に加わってロンドン会議にも出席したとある。ふむふむ、ミクロネシアには掃いて捨てるほどいる、本国では借りてきた猫のようになるくせに島では大きな顔してる、日本人やアジア人が大嫌いなアメリカ白人ゴロかいな...?いつまでもミクロネシアで宗主国のご主人様顔していたい奴らのひとりかも...?
そして彼に言い渡された「お仕置き」は、
1)「法廷に倫理、平等、安全をもたらすための講座」を自費で受講すること(ネットによる通信教育は不可)。
2)北マリアナ諸島在住の全フィリピン人、ならびにチャモロ人らへの謝罪文を裁判所に提出し、その謝罪文を国内新聞2誌に、自費で掲載すること。
3)家庭裁判の判事資格の再任認定を受けること。
これだけ長いことミクロネシア・ゴロやってると、太平洋中に知り合いがいるだろうし、こうして環太平洋にニュースが公開されちゃって、かな~り恥ずかしい思いをしているだろう。それでも本人がこの過ちにマジメに向き合えれば、これも良い試練になるだろうが、それができるかどうかは...
それはともかく、こういうことは、言葉や生まれ育った文化の違う人々と暮らす者にとっては、決して他人事ではない。やっぱり、相手の社会的・文化的背景に対する理解や思いやりなしに、うっかりした言葉を吐くと、とんでもない誤解や反感を招くという良い例だ。それでも、
20年以上もサイパンで暮らしてて、アイツがムチャーチョの意味を知らなかったはずはない。確信犯だぜ、あれは...
ふむふむ、これも「斜陽」の宗主国からこぼれ落ちたミクロネシア・ゴロのアメリカ人たちの、昨今よくあるヒステリックな反応の一例なのかもしれない。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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~中略~
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~中略~
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