去る7月27日、降りしきる雨の中を、太平洋戦争中にヤップ島を守備していた日本軍によって撃墜された米海軍機F6F-5ヘルキャットを移設展示した場所で、その戦闘機のパイロットのご遺族、米国大使、米海軍士官を迎えて、その記念落成式が行われました。
1944年9月6日午後、当時ヤップ島近海にいた3隻の米航空母艦のひとつ、
エンタープライズ(USS Enterprise, CV-6)から飛びたった30機(搭乗クルーは35名)近い米海軍機
F6F-5 ヘルキャットの中に、ジョセフ・E・コックス少尉(Ens. Joseph Cox)とハワード・A・ホールディング少尉(Ens. Howard A. Holding)がいました。
同年6月から繰り広げられた
B-24 リベレーターによる間断なき空爆、ならびに艦砲射撃により、すでにヤップ島の日本軍は壊滅的打撃を受けていましたが、滑走路のまわりでは、海軍設置の120ミリ高角砲や陸軍の80ミリ高射砲が、まだひっそりと銃口を空に向けて米軍の空襲に備えていました。
午後の太陽に隠れるように、南西方向から日本軍滑走路とコロニアを目指して飛来してきたヘルキャットの第1編隊にいたハリー・D・ブラウン中尉(Lt.(jg) Harry D. BROWN)機に、まず地上からの砲撃が命中し、機はコロニアの西側の丘に激突炎上しました。そして次の瞬間、第2編隊にいたコックス機も砲撃にやられ、機はコントロールを失って右側にいたホールディング機と空中衝突を起こして両機とも墜落しました。
コックス少尉の遺体は日本軍あるいは島民により機体の側に埋葬されていたものが戦後見つかり、アイダホ州の遺族の元に還ることができましたが、ブラウン中尉とホールディング少尉の遺体はまだ見つかっていません。しかし2005年から始まった
Missing Air Crewの捜索により、コロニアの近くの山中で大破したブラウン機の残骸と、激しく損傷を受けながら水中に散在するホールディング機が確認されました。
空中衝突後、裏返しになって墜落して60年以上が経過したにも関わらず、比較的原型を留めて残っていたコックス機は、2年前にヤップ州土木部の前庭に移設されていましたが、
Missing Air Crewメンバーを中心とした働きかけにより、コックス少尉とホールディング少尉のご遺族、駐ミクロネシア連邦米国大使、米国海軍を迎えてのセレモニーが実現しました。
ヤップで66年前に起きた出来事を知ろうとするには、先祖代々からの住民であったヤップ人、当時領有権を主張して戦略的に守備していた日本軍、(ほんとうはルーズベルト大統領は知っててわざとパールハーバーで大負けしたのに)リメンバー・パールハーバー、憎っくきジャップをやっつけろ、と続々太平洋を西へと押し寄せてきた連合軍(主に米軍)...この3者のそれぞれの立場から見ていかないと、片手落ちになります。
そして、日本とアメリカがやったことは、勝手によその家に押しかけて大喧嘩をおっ始め、あげくに家は壊すわ、家人も殺したり怪我させたりするわの暴挙に及んだジャイアンとスネオ?のようなものだったんだという事実から、日本人もアメリカ人も、絶対に目をそらしてはならないと思います。というわけで(持ち前の好奇心も多いに作用して)、まったくアメリカ~なセレモニーに、わたしもノコノコ出かけて参りました。こころはやはり、いろんな方面でヒリヒリしましたけど。
ところで下の写真は、アメリカの爆撃機からヤップ島に投下されている爆弾の雨です。この写真を見せられると、たいていのヤップ人は、
ひぇ~と息を呑みます。彼らの父祖の地に降り注ぐ爆弾の雨、その真下には彼らの親族が...そう思うと、こころがギューッと縮むのでしょう。
ちなみに、当時の米軍が空爆作戦を展開するときには、必ず1機は記録係としてカメラマンを乗せて飛んでいたそうです。ですから、ヤップ島への爆撃もたくさんの写真が残っています。1944年3月31日に始まった最初のヤップ島攻撃から1945年8月15日の終戦までの間に、ヤップ島攻撃作戦に出動した米海・陸・空軍&海兵隊の戦闘機のうち、36機が日本軍により撃ち落され、120人の乗員の命が失われました。そのうち110人の遺体はいまだに確認されておらず、MIA(Missing In Action)となっています。
さあ、セレモニーが始まりました。参列者は、上記の主賓に州のエライさん方のほかには、島在住のアメリカ人+アメリカ人観光客ちらほら、わたしを含めて
Missing Air Crewのメンバーと付き合いのあるローカル・ツアーガイド数名、(たぶん頭数集めで呼ばれた)海洋訓練校(FMI)の生徒たち、それに、イラクとアフガニスタンで戦死したヤップ島出身兵士の家族らも呼ばれていました。
なぜか3年半ほど前から頻繁に登場するようになった
空気銃を持ったオマワリさんの行進で、ミクロネシア連邦旗、アメリカ国旗、ヤップ州旗が入ってきました。雨の中をご苦労さんです。
その後、プログラムにはPresentation of Colors >> National Anthemsとなっていたのですが、わたしたちガイド組は、何するのかな~とボーっと座っていましたら、前方の主賓やエライさん、アメリカ人組が全員起立したのです。それでも後方に隠れるように座っていたわたしたちは、どーしよーか?とお互い顔を見合わせながらも座ったままでいたところ、放送局録音のミクロネシア連邦国歌が流れ始めました。
そうそう、国歌斉唱のときは起立するんだったね~メリケン(アメリカ人)は...とみんなで思い出しながら起立したんですけど、このとき流れた国歌が、なんとカントリーロック・バージョン! どんなに四角い顔して起立していても次第に顔の筋肉がゆるんでいき、最後には歌手と一緒に
イェイとシャウトしたくなるようなエンディングで、なかなかの感銘ものでありました。やるじゃない>>ヤップ州放送局(笑)。
忌野清志郎の君が代とまではいかなくても、日本の儀式でも、もっと自由にアレンジして楽しく歌えば良いのに^^(そして歌詞も変えたほうが、みんな=国民のノリも良くなりますよ、キリッ)。
さてオマワリさんたち、ヘルキャットの前に旗を立てて、3人が直立不動の姿勢です↓ ↓
上写真の左手で、このプロジェクトの火付け役となった
Missing Air Crewの主催者、Patrick Ranfranzさんが、この日に至るまでの経過説明をしています。彼のおじさんが搭乗するB-24も、1944年6月25日、ニューギニアはアドミラルティ諸島のロスネグロス島から飛びたち、ヤップ島上空で撃ち落されました。10人の搭乗員とともに島の東南側の海に墜落した機体は、いまだに発見されていません。
次のスピーチは
History Flight, Inc.を主催・経営する
Mark Noahさん、小型機から大型ジェットまで飛ばせる現役バリバリのパイロットでありながら、日米のどんな戦闘機のカケラでも、見ただけで機種を言い当てることができるすごい人です。太平洋戦争で失われた米軍戦闘員、戦闘機捜しにかけるこの2人の情熱とその偏りのないアプローチは、彼らが純粋な真実の探求者であることを物語っています。
しかしながら、
今あなたの国が、アフガニスタンやイラク、世界中のあちこちで起こしている戦争について、本当のところはどう思っているの?と聞いてみたい気持は山々ですが、
ミクロネシアはまだ勝てば官軍の地でわたしはなんといっても負け組の出ですし、アメリカは今現在も
侵略戦争続行中の言論統制の国ですし、彼らの仕事も米軍の協力抜きではできないわけですから、そんな野暮で失礼な質問はできません。
カソリックの神父さんのお祈りに続いて、州のエライさん、米国大使、米国海軍少将の代理として出席された海軍中佐さんのスピーチがありました。中佐さんは卒なくサラッとお仕事をこなされましたが、前のお2人のお話は・・・・・ 自由と民主主義のために捧げられた彼らの献身によってぇ、ヤップの人々はぁ(悪の枢軸ジャップから)解放されて自由と平等を手に入れることができぃ、以後アメリカと共にぃ、今も世界中のテロリストをやっつけるためにぃ、戦っているのでありますぅ~~~、イラク・アフガニスタンで名誉の戦死を遂げられたあなた方の息子さんたちもぉ、そういう尊い献身をなされたのですぅ・・・・・ 仕方ありませんね...なんといっても、
ミクロネシアはまだ勝てば官軍の地ですから。それでも救いは、わたしのまわりのローカル・ガイドたちが、そんなスピーチを真に受けて聞いてる風には見えなかったことです^^
さてプログラムの最後にあったRendering of Honorsって何するんだろうと思っていると、制服の米海軍中佐さんと私服の退役米空軍パイロットさんが、作法にのっとって米国旗を折りたたみ、コックス少尉とホールディング少尉のご遺族に贈るという儀式だったのでした。
最後に、
Missing Air CrewのPatrick Ranfranzさんの名言をふたつ、ご紹介しておきます。これらを解釈するとき、ひとりのゴッドと厳しく契約する社会に住む欧米人の感覚と、いまだに八百万(やおろず)の神さんとゲゲゲの妖怪さんの世界を居心地良く思っている日本人&ヤップ人の感覚では、かなりの違いがあるでしょうけど、それでも何か、ハッとさせるものがありますね:
“A man is not dead until he is forgotten”
忘れ去られない限り人は死なない
(死者はいつもあなたの側に)
“History is Passion”
歴史は情熱だ!
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