ミクロネシアの小さな島・ヤップより:ヤップの民話
2010-09-17T22:35:58+09:00
suyap
太平洋に浮かぶ小さな島・ヤップから、島の暮らしや海・陸の自然、日々思うことなどを書いてます。
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トカゲ男の民話パート2
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suyap
ヤップの民話
きのうもカダイ村の集会場で、そんなまったりな休憩を入れていると、目の前のココヤシの幹に何か動くものあり…あっ、マングローブオオトカゲくんだ!
ヤップではガルーフ(galuuf)といわれるこの大きなトカゲのことは、以前にも何度かこのブログで取り上げたけど:
〇トカゲにされた男の話
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〇ガルーフ(マングローブオオトカゲ)の話
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みんなに見つめられてすっかり固まっちゃってたガルーフくん(まだティーンエイジャー・サイズです)、木の真下から煽ると、どんどん上に登っていって何かを狙っている様子。いつまで待っても動きそうにないので、もうひとつのガルーフ民話でも。ご紹介しましょうか…
むかしむかし、ヤップのドゴール村で、どこからともなくやってきた超ハンサムな若い男の噂が、人々の口に上るようになりました。近くの森に住んでいるというこの男を見かけた村の女たちは、みんな一様に、うっとりと心を奪われたようになりました。そのうち、ひとり、ふたりと、村の若い娘の行方がわからなくなり、だんだんに、人々はこの若い男を怪しむようになりました。
そんなある日、ある美しい娘がひとりで道を歩いていると、この若い男がやってきました。男を見た瞬間うっとりしてボーっとなっている美しい娘を、男もひと目で好きになりました。そこで娘を自分の洞窟の住まいに連れてきて、(いつものようにすぐに「処理」しないで)しばらく一緒に過ごすことにしました。
そのうち娘はお腹が空いてきたので、男に何か食べさせてくれとせがみました。そこで男が運んできたのは、強烈な腐臭を放つカニやらカエルやら得体の知れない昆虫やらの死骸でした。そのものすごい臭気に触れて、ようやく娘はこの男の正体に気づいたのでした。
恐怖にかられた娘は洞窟を飛び出し、両親の待つ家を目指して一目散に逃げ戻りました。娘から話を聞いた父親は、この男がやがて娘を捜しにくるだろうと予測して、いろいろと策を練りました。
待つほどもなく、男は恭順な若者を装って父親の前に現れました。そこで父親は目の前のココヤシの木を指差して、喉が渇いたので実を少し取ってきてくれないかと男に頼みました。目をつけた娘の父親に気に入られようと、男はスルスルと木に登っていきました。ところがココヤシの実を取って降りかけたとき、うっかり男の本性が出てしまったのでした。
頭を下にして木から降りてくる姿を見た父親は、ようやく、この男の正体に確信を持ちました。でも準備はしてありましたから心配ありません。先端が輪になった長い棒を手に取った父親は、木から降りてくる男の頭を、タイミングを見極めて引っかけました。そして棒を上のほうにギュッと引き上げ、男を締め殺しました。若い男の身体は地面に落ち、その途端、本来のガルーフの姿に戻っていったということです。どうもヤップの民話には、見かけだけで男に惚れちゃダメだよっていう話が多いような…(笑)。
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ヤップの人ですか?
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2009-10-11T08:11:00+09:00
2009-10-13T09:27:09+09:00
2009-10-11T11:04:59+09:00
suyap
ヤップの民話
今年89歳になるTおばあさん(ご本人は数えで90歳と言っている)だが、もう長いこと語ることもなかった話なので登場人物の名前も忘れたそうで、その上、ヤップの話を日本語でわたしに聞かせ、それをわたしが文章化しているのだから、ヤップらしい微妙なニュアンスが伝わりにくいかもしれない。だからこれは、Tおばあさん版ヤップ昔話のひとつのあらすじを、suyapの記録として日本語で書き取ったもの-という位置づけで読んでください。(記事の無断転載を固くお断りします)。
話の中に、陰膳なんて日本にもあった風習が出てきてびっくりするけど、だからといって、ヤップと日本はつながりがあると短絡的に決めつけることはできない。それぞれを独立した風俗・文化としてとらえるなかで、なぜこのような似通った風習があったのだろう?という疑問をまず持って、そこからさかのぼったほうが、双方の違いや類似点をよく見ることができるだろう。
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むかしむかし、ガギル(ヤップ島東部)のリケン村やワニヤン村の男たちが、カヌーでフィリピン(Maniileq)まで行って貝貨(Yaer)を取って来ようと相談していました。それを聞いたマアプのアミン村(ヤップ島北西部)の男が、自分もこのカヌーの旅にぜひ同行させて欲しいと頼みました。
旅の一員に加えてもらえることになったアミンの男は、たくさんのダル芋(ヤムイモの一種、Dael)を持ってカヌーに乗り込みました。航海がはじまると、ガギルの男たちの食べ物はすぐに尽きてしまいましたが、アミンの男が持ってきたダル芋は、まだたくさん残っておりました。それに、たいへん長持ちして味もかわりませんし、焼いてもすぐに火が通るので、長旅にはたいへん便利でした。アミンの男は、自分のダル芋を少しずつみんなで分けて食べていましたが、ガギルの男たちは、アミンの男のダル芋をもっともっと欲しいと思っていました。
食料がますます乏しくなってきたころ、ついに島影が見えました。どうやらフィリピンの一番東端にある島々のようです。浅瀬でカヌーを進めるためには竹ざおが必要だということになり、ガギルの男たちはアミンの男に、上陸して竹ざおを取って来てくれないかと頼みました。人の良いアミンの男は快く了承しました。
ところが、アミンの男が竹を抱えて海岸に戻ってみると、カヌーははるか沖で帆を張って進んでいました。ガギルの男たちは、アミンの男を置き去りにしてしまったのです。そこは島が細く突き出した先端(M'uuth)のようなところで、周囲にまったく人影はありませんでした。それから男は、腹が減ればコプラ(ココヤシの完熟した実)を拾って食べ、渇けばココヤシの木に登って若い実を取って喉を潤し、夜は野豚や犬の襲来を逃れて木の上で寝て、延々と海岸を歩き続けました。
そうして3ヶ月が経ったころ、誰かが仕掛けた野豚獲りのワナ(Wup)を見つけて人里の近いことを喜ぶうちに、うっかり自分がそのワナにかかってしまいました。野豚用のワナですから、強く足に食いこんで逃れられません。血を流しながら長いことウンウンと苦しんでいると、ワナの仕掛け人がやってきました。
もちろんお互いの言葉は通じませんでしたが、親切な仕掛け人は、この男を自分の家に連れて帰り、丁寧に介抱してやりました。長い間の飢えと足の傷がだんだんと癒やしながら、ヤップから来た男は、少しずつこの地の言葉を覚えていきました。そうして、自分がこの地に置き去りにされたことや、最終目的地である貝貨の産地、キワンというところに行って仲間のカヌーを捜したいということをなんとか伝えると、まわりの人たちはたいへん同情して、助けてくれることになりました。
それにしてもキワンはそこからいくつもの島を隔てた遠いところにあったので、この島から隣の島へ、そこからまた隣の島へと、親戚縁者のネットワークを通して、島づたいにこの男を送り届けることになりました。
もちろん、それには長い時間がかかりました。ですから、目指すキワンにたどり着く頃には、このヤップの男もフィリピンの言葉を流暢に話すようになっていました。またフィリピンはすでにスペイン統治の時代でしたから、この男もまわりの人々と同じように、長いズボンとシャツという服装を身につけておりました。
キワンに着いてみると、この男を置き去りにしたガギルの男たちは、すでに船出したあとでした。思案にくれながら海岸を歩いていると、なつかしいヤップ式のカヌーに似た船を修理している男をがおりました。やがて何とはなしに話をするようになり、なんとはなしにカヌーの修理を手伝うようにもなりました。それでも、お互いの過去や出身地について話すことはまったくありませんでした。このカヌーを直している男も、フィリピンの言葉を流暢にしゃべり、洋装をしておりました。
ある暑い日のこと、カヌー修理の作業を終えたあと、ふたりで一緒に水浴びに行こうということになりました。そして海岸でふたり同時にズボンを脱ぎ始めたところ、それぞれの足から見事なカツオ(Ngool))の刺青が現れたのです!(※) それを見たふたりの口から同時に出た言葉は:Gabea u Waqab?
ガベ・ウ・ワアブ?
(あなたはヤップの人ですか?)驚きのあとは懐かしいヤップの言葉で、お互いの身の上話になりました。この男はギルマン(ヤップ島南部地域)はタワイ村の出身で、もうずいぶん昔、ひとりでカヌーを操ってここまでやってきたのだそうです。この地の暮らしが気に入って過ごすうち、なんとなく帰りそびれて長い年月が経ってしまいました。そしてときどき、古くなって痛んだカヌーを修理しながら故郷を思い出していたのだそうです。(※写真の刺青のデザインはカツオではありません)
一方、アミンの男の身の上話を聞いたタワイの男は、ガギルの男たちにどうしようもなく腹がたってきました。そして、この哀れなアミンの男を、なんとしてでも年老いた両親の元に返してやらなければ、という気持がだんだん強くなり、このカヌーを直して、一緒にヤップに帰ろう!と言ったのです。
ヤップに帰るという目標ができたふたりは、カヌーの修理に精を出すかたわら、貝貨にする貝を採りに海に潜ったりと忙しく立ち働きました。ある日、タワイの男がたいへん大きな貝を海中から取ってきましたが、二枚貝のそれぞれを分け合うことにしました。ヤップに持ち帰ると、これらはたいへん価値のあるものとなるはずでした。
そうして、ある西風の吹く日、長い間お世話になったフィリピンの人たちに丁寧な別れを告げて、ついにふたりはカヌーの帆を上げました。風を受けた旅は順調で、数日後のまだ明るいうちにヤップ島の西側に到着することができました。それから日がとっぷり暮れるのを待って、ふたりはカヌーをミル・チャネルからリーフの内に進めました。
アミン村はミル・チャネルを入るとすぐなのですが、真っ暗なマングローブの際にカヌーをとめると、タワイ村の男はアミン村の男に、じぶんが家の様子を見て戻ってくるまでカヌーに隠れて待っているように言いました。それから、しんと寝静まった村の道をたどってアミン村の男の両親の家に近づくと、タワイ村の男は静かに家の中に話しかけました。あなたがたの息子さんが、いま帰ってきましたと。
それを聞いた母親は、最初、どこの誰がそんな悪い冗談を言うかと怒った声を上げましたが、じきに、父親とともに家の中から飛び出てきました。タワイ村の男の説明を聞いた父親は、息子が船出していった日からこの日まで、母親は一日も欠かさず息子のために食事を用意していたこと、そして、自分は息子が生まれた日から7年の間、一切魚を食べなかったこと(※)などを話したそうです。
※Tおばあさんによると、「魚を食べない」というのは比喩であって、意味は「女にさわらない」ということなのだそうだ。むかしのヤップでは、子供が生まれて1年半とか、それくらいは夫婦でもヤラナイ(笑)習慣があったようだが、それを7年も続けるとは、長い禁欲生活をしたから、丈夫な息子に育つという意味もあったのかも?
その後カヌーに戻ったタワイ村の男は、アミン村の男を下ろすとカヌーを岸から離し、南のタワイ村に向けて船出して行きました。アミン村の男は両親と再会を果たし、大きな貝貨を父親に献上して長年の不在を詫びたあと、その日も母親が用意しておいた食事を頂きました。この男を置き去りにしてフィリピンから帰ってきたガギルの男たちから息子は死んだと告げられても、両親は、きっと帰ってくると信じて疑わなかったと言いました。
それからしばらく、男はひっそりと隠れて暮らしていましたが、だんだんとその姿が村人の目に止まるようになり、この男の生還は、やがて人々に知られるようになりました。この男を置き去りにしたガギルの男たちにもそれは伝わり、と同時に、彼らの酷い仕打ちも人々に知れわたったので、たいへん恥ずかしい思いをしておりましたとさ。
(後記)
ヤップの村々の関係やヤップ人のメンタリティがわからないと、このストーリーのツボを十分理解できないかもしれません。ま、それで良いのだと思いますけど。
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ガルーフ(マングローブオオトカゲ)の話
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2007-08-27T23:21:00+09:00
2010-09-17T15:17:16+09:00
2007-08-28T14:31:58+09:00
suyap
ヤップの民話
パスウエイズ・ホテルに行くと、スタッフがマングローブオオトカゲ(Varanus indicus)のために大きなケージを作成中だった。ヤップ語でガルーフというこのオオトカゲは、すでに体長が80センチもあるけど、まだティーンエージャーってところみたい。1週間ほどまえに、ホテルのスタッフが尻尾に切り傷を負ったこのトカゲを捕まえてきて、それ以来、小さなオリに入れられ傷の手当てを受けていた。大きなケージが完成して引越しするまで見ていたのだけど、カメラを近づけると警戒して隅によってしまう。
以前も、ガルーフにまつわる民話のひとつを紹介したが、ヤップにはガルーフの話は他にもたくさんあるようだ。きょうは、また新たな話を2つ紹介しよう。
ガルーフとガプルーむかしむかし、ヤップのガルーフとガプルー(Micronesian Starling Aplonis opacaムクドリの仲間で真っ黒な鳥-日本時代には日本人にパパイヤガラスと呼ばれた)は大の仲良しでした。
ある日、ガルーフはガプルーに、自分の身体にきれいな模様を描いてくれないかと頼みました。そこでガプルーは、ガルーフの身体にとても繊細な模様を描き、周囲にとけこむ美しい色で染めていきました。
作業がすべて終わったとき、今度はガプルーがガルーフに同じことを頼みました。するとガルーフは、「いいよ」と言ったとたん、側にあった真っ黒な墨壷を持ち上げて、いきなりガプルーの頭の上から注いでしまいました。ガプルーは、そのときから全身が真っ黒になってしまったのです。
それ以来、ガプルーとガルーフは敵同士になりました。いまでも両者が出会うと、ガプルーはガルーフをつっつくし、ガルーフはガプルーに向かって威嚇するのは、そういうことがあったからなのです。上の話のガルーフはなかなかズル賢い奴のように描かれているけれど、ヤップ語でガルーフといえば、トンマの代名詞。
ヤップで相手を罵倒するコトバとして代表的なものには、クス(犬)!とガルーフ!がある。クス!って言うと、「他人のものをくすねる最低の奴、人間以下の奴」というような意味で、たとえばワタシのオトコに色目を使ってるけしからんオンナに向かってはクス!と罵倒するのが正しい(笑)。一方、ガルーフ!ってのは、わたしはまだ使ったことがないが(ということはクス!は使った覚えがあり? )、「おまえってサイテー!こんなことしてバッカじゃないの!」みたいな意味らしく、なんかこう、ヤップ人としてはかなりプライドを傷つけられるらしい。でも言い放つほうとしては、相手を馬鹿にして笑うことができる状況...
それでお次は、ガルーフのトンマの証明のようなお話を。
ガルーフ木から落ちるみなさんもよくご存知のとおり、ガルーフはニワトリの卵が大好物です。でも、草や枯れ木の上で卵を見つけて割って食べようとしても、中身のほとんどは草木の下へ漏れ落ちてしまい、チロチロとガルーフの舌先で舐め取れる量は限られてしまいます。そこでガルーフは、何か良い方法がないものか、と長い間考えていましたが、やっと名案を思いつきました。
それは、卵を丸呑みしてしまう-ということです!
でも、そのままではなかなか消化されないので、次にガルーフは高い木に登ります。卵でお腹がプクリと膨れたガルーフがエッチラオッチラ木に登る様子を想像してみてください。そしてその次は、
木のてっぺんからお腹を開いて飛び降りるのです!
するとお腹の卵は割れてグシャグシャ
だけどガルーフもバタンキュー(笑)
ねっ、ガルーフというのは、それほどトンマなお馬鹿さんなのです。ガルーフは追い立てられると木に登るらしい。木の上のガルーフを捕まえるには、オール(qoer)またはアウール(qawur)と呼ばれるココヤシの葉芯をヒゴのように細くしたものでループをつくり、それを棒の先に取り付けて、しずかにそろそろとガルーフに近づけていく。ガルーフは下の方にばかり気を取られていて動かないので、ゆっくりやれば、うまく身体を輪にはめることができるのだそうだ。こんな捕らわれ方をするのもガルーフがトンマだといわれる理由のひとつになっている。
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[ヤップの民話]トカゲにされた男の話
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2007-05-08T20:43:00+09:00
2010-09-17T15:47:25+09:00
2007-05-09T00:16:07+09:00
suyap
ヤップの民話
ボケた写真ですみませんが、これはマングローブオオトカゲ(Varanus indicus)、英語でMangrove Monitor、ヤップ語ではガルーフ (galuuf)と呼ばれる生物。成長すると1メートル以上になるジャイアント君だけど、写真の個体は50センチくらいだったろうか。とっても臆病なので、こうして写真を撮れただけでも、ラッキーだった。
ヤップのガルーフは通常ジャングルに住み、カニやネズミなどの小動物や、民家の側にも寄って来て、ニワトリの雛や卵も狙うらしい(ヤップではニワトリはみな放し飼い。雛や卵は草むらにある)。だから、あんまり歓迎されている動物ではないけど、けっこうマヌケなお邪魔虫といった存在だ。ガルーフを脅すとヤシの木にも登るという。さらに脅すと、自分の重さも考えずに幹から葉の部分に乗り移るため、そこから滑り落ちて気絶するのだそうだ。これが泳ぐところをわたしは見たことないけれど、泳ぎもたいへん上手いらしい。
島の人は絶対に食べないが、太平洋戦争中は飢えた日本兵がこのオオトカゲを好んで食べたので、戦争が終わった頃にはガルーフの数が激減していたという。現在は開発による森の減少でまた減り続けているようで、1メートル級の大きなガルーフには、わたしももう長いことお目にかかっていない。
ヤップにはガルーフにまつわる民話がいくつか残っている。きょうは、その中のひとつ、ガルーフにされてしまった男の話を紹介しよう。
むかしむかし、たいへん働き者で魚とりの上手い男がおりました。男には妻と2人の子供がいましたが、妻の実家にも、とってきた魚をたくさん届けておりました。妻の実家では、その都度もらった魚に見合うくらいの主食をお返しにあげなくてはなりません(注1)が、あまりにもたくさんの魚がくるので、だんだんお返しの主食に困るようになりました。
ある日、いつものとおり妻が男といっしょに実家に魚を持っていくと、妻の両親は娘をこっそり呼んで、「これを夫の食べ物に入れてあげなさい」と、あるものを手渡しました。妻は何の疑いもなく、両親に言われたとおり、もらった物を夫の食べ物に混ぜて夫の食事を作り(注2)、男はそれを食べました。食べている最中から、男はなんだかおかしな気分になり、自分の身体が意志に反して前につんのめり、だんだん腹ばいになっていくのがわかりました。
一方、その様子を見ていた妻のほうも、何が起き始めたかをただちに悟り、急いで男と子供たちを連れて家に戻りました。その間も、男の身体にはどんどん変化が起きていました。そうです、男の身体は、だんだんガルーフの姿になっていっていたのです。
やがて、完全にガルーフの姿になってしまった男は、家の前の大きな木の中に住むようになりました。始めのうちは、妻が男のために食事を作って運んで行くと、ガルーフになった男が木から出てきて、まるで妻や子供たちのペットのように飼われていましたが、時が経つうち、男は自分がかつて人間であったことも忘れてしまい、ついに妻や子供の前に再び姿を現すこともなくなりました。
男の妻は、夫をこんな姿に変える薬を渡した両親を恨み、2度とその実家を訪れることはありませんでした。
注1)ヤップの婚姻関係では、男サイドのファミリーは女サイドのファミリーに魚を、女サイドのファミリーは男サイドのファミリーに主食(タロイモ、ヤムイモなど)を届ける習慣がある。
注2)ひと昔前までヤップでは、妻かそれに相当する特定の人だけが、一家の主の食べ物を用意していた。一家の主たる男は、そういう女性の手を通さない食べ物には、決して口をつけなかった。
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[ヤップの民話]ヤシガニに助けられた青年の話
http://suyap.exblog.jp/5071767/
2007-02-03T15:51:00+09:00
2007-08-28T14:19:37+09:00
2007-02-03T16:00:46+09:00
suyap
ヤップの民話
きのうも書いたとおり、ヤシガニはすごく長生きだ。体重が2キロを越すのに30年はかかるのに、4キロ以上の個体が見つかることもあるという。
ふだんは夜行性で、昼間は大きな木の下や穴の中など、湿気の多いところに隠れている。木登り、穴堀りも得意で、とくに年に1度の脱皮のときには、1m以上の穴を掘り、その中で脱皮して、脱皮した抜け殻を食べながら、新しい殻が十分硬くなるまで1ヵ月以上、穴の中に潜む。また、巣穴の中にいるときは、(乾燥を防ぐために?)ハサミで入り口をふさいでいるのだそうだ。
ヤップの民話にもよくヤシガニが登場する。
ここで紹介するストーリーにも、上記のようなヤシガニの習性や特徴がよく盛り込まれていると思う。それでは、どうぞ。
むかしむかし、ヤップ島の南のほうの村に、3人の兄弟がいました。
あるとき、村で踊りを披露することになり、この3兄弟も踊り手に加わって練習を重ねていましたが、どういうわけか、末の弟がいちばんの踊り手として認められ、踊りの真ん中の役を申し付けられました(※)。
(※)ヤップの踊りは横一列に並んで踊られるが、その真ん中の踊り手は、全員の気合を確かめて、まずソロでチャントの口を切る。列の後ろに控えるコントローラー(仮称)役とともに、踊りでは重要なポジションだ。
2人の兄たちは、弟の両隣に配置されましたが、心の中では末の弟をねたんでいました。 いよいよ踊りの完成も近づいて、晴れのお披露目の舞台では、踊り手みんなの頭飾りにモロブ(グンカンチョウ)の羽をつけることが決まったので、兄弟そろってングルー(ヤップとパラオの間にある環礁)まで羽を取りに行くことになりました。
カヌーがングルーのとある小島に到着すると、2人の兄たちは、「自分らはこっちを探すから、お前は向こうを探したらどうか」と末の弟に言い、何も知らない弟は、素直にそれに従いました。弟が島の反対側に見えなくなるのを確認すると、2人の兄たちは急いでモロブを捕まえて羽を取り、乗ってきたカヌーに駆けもどって帆を揚げました。
しばらくして元の海岸に戻ってきた弟は、そこにあるべきはずのカヌーがないのを発見し、驚いて水平線に目をやると、どんどん遠ざかっていくカヌーの帆が見えるだけでした。
兄たちに置き去りにされたことを知った弟は、いつまでも、いつまでも、激しく泣いていました。泣いて、泣いて、涙が枯れ尽きるころ、今度は空腹が襲ってきました。でも、島のどこを見渡しても、民家どころか人影すら見あたりません。
そこで、今度は空腹のために弱々しく泣きながら浜を歩いていると、とある大きなアウ(ガジュマルの仲間-よくヤシガニが棲む)の下で、誰かが火を焚いており、その上に鍋が乗っていました。
再びあたりを見回しましたが、、やはり、どこにも人の気配はありません。
「この鍋はどなたのものですか?」と大声で問うても返事がありません。
思わず鍋の蓋を開けてみると、そこには美味しそうに煮えたタロイモがありました。
弟はそれを見て、自分のバスケットの中に釣り具があったのを思い出しました。そこで釣り糸にフックをつけて海に垂らすと、すぐに大きなサカナが釣れました。
それを持って鍋のそばに帰ってきて、もう一度、声をかけましたが、やはり返事がありません。仕方ないので、弟は、鍋からタロイモを一切れだけ頂戴し、サカナを半身だけ食べて、残りの半身をタロイモのお礼に残しておくことにしました。
満腹になって元気を取り戻した弟が、その場を立ち去ろうとしたときです。
「そこで何をしているの?
わたしのタロイモを食べたでしょう?」
という大きな声がしたので、びっくりして振り向くと、そこには1匹のアユイ(ヤシガニ)が弟を睨みつけていました。
そこで、弟はアユイに今までの経緯を説明し、あまりの空腹にタロイモを一切れ頂戴したけど、お礼にサカナを半身残して立ち去ろうとしたことを伝えると、アユイは、「自分の家に泊まってもいいよ」と言ってくれました。
弟はアユイの言うとおりに、彼女の家の客人になりました。
驚いたことに、毎朝、弟が起きてみると、そこにはタロイモ、ヤムイモ、パンノミなど、さまざまな主食が、最高の味に炊き上がって用意されているのでした。
それなのに、まわりを見渡しても、田んぼはおろか、ヤムイモの畑もパンノキも見あたらないのです。
あるとき、弟はアユイに、「ひとりでここに住んでいるの?」と聞きました。
すると、アユイは、「年取った母親の面倒を見ながら住んでいる」と答えました。
「ぜひ、お母さんに会わせてくれ」と弟が頼みますと、「わたしの母親は、すごく醜くて怖いから、あなたはきっと後悔する。会っては駄目だ」と言い張ります。それを何とか説き伏せて、しぶしぶ案内するアユイの後について、穴の奥にある母親の部屋に行きました。
そこで、戸をあけた途端...
「ああ~~~っ」
部屋の入り口をいっぱいに覆っているものに圧倒されて、弟はすぐに戸を閉めてしまいました。
それからしばらくして、弟はアユイに言いました。
「もうすぐヤップの自分の村で、あの踊りが披露される日がくる。ああ、自分も参加できたらなあ...」 弟は、ングルーに取り残されてからも、ちゃんと日数を数えていたのです。
するとアユイは、「あなたも帰って踊れば?」と言いました。
弟: そんなこと、無理に決まってるじゃないか。ここにはカヌーもないし...
アユイ: 明日の朝、目が覚めたら、すぐに海岸にお行きなさい。そこには1本の流木が待ってます。それがあなたのカヌーです。それに乗ってヤップに帰れます。ヤップに着いたら、そのカヌーの上に、若いヤシの実をひとつ置いておきなさい。そうすると、あなたがここに帰りたくなったときには、いつでも、そのカヌーが待っているでしょう。
翌朝、海岸に出てみると、アユイが言ったとおり、そこには1本の流木がありました。弟がそれに乗ると、まるで意志があるかのように流木は海面を走り、なんとその日の夜には、ヤップの弟の村の近くまでたどり着きました。
アユイの言いつけを守って、ヤシの若い実を流木に置いてから、弟は密かに両親の家の戸を叩きました。
「誰?」
「ぼくです。貴方たちの末っ子です」
「冗談はやめてくれ。あの子はングルーで死んだというから、葬式も済ませて、なんとか悲しみを忘れようとしているのに...」
「いいえ、ぼくは死んでなんかいません。どうか戸を開けて顔を見てください」
やっと戸を開けた両親の驚いたこと、嬉しがったこと!
兄たちは、「弟は事故で死んだ」と、嘘の報告をしていたのです。
それを聞いた弟は、両親に、踊りの披露目の日まで、自分が帰ってきたことを誰にも内緒にして、かくまってくれるように頼みました。
そうして、その当日...
母親の助けで、すっかり衣装の着付けも終わった弟は、頻繁にマラル(村の集会場の前で石貨の飾ってある舞台)の様子を見に行ってもらい、踊り手がすべて入場を済ませるのを待ってから、立ち上がりました。
自分の居るべき真ん中には、それぞれが主役を譲らない2人の兄たちがいましたが、堂々とマラルに入場してくる弟を見ると、彼らのしたことは聴衆にも他の踊り手にも一目瞭然です。黙って左右に離れて、弟に場所を譲りました。
いよいよ弟が踊りの始まりを告げるチャントを口にしようとした、そのとき...
どこからともなく飛んできた2匹のモロブが、フワリと舞い降りて、その両肩に止まりました。
見ると、弟の頭飾りだけモロブの羽がついておらず、それを知ったアユイが生きたモロブをングルーから送ったのでしょう。
やがて2匹のモロブを両肩に乗せた弟に率いられて始まった踊りは、聴衆にも、踊り手らにも、その場にいた全員に大きな感動を与えました。踊り手らの踏み鳴らす足音の響きに合わせて、ングルーにいるアユイもその大きなハサミで地面を叩いたので、その地響きはヤップまで伝わってきたということです。
*********
この話をしてくれた若い女の子が、ポツリとつぶやいた。
「ヤップの民話って、なぜか弟や妹が、年上の兄や姉にいじめられる話が多いのよね...」
「年長者の言うことには絶対服従のヤップのしきたりの中で、弱者がいじめられっ放しにならないようにする教訓じゃないのかな...?」と、わたし。
彼女自身は長女。病弱な両親の世話や、面倒見の良いお姉ちゃんに甘えて勝手し放題な弟妹の尻拭いを、黙々とこなす毎日なのだが...
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[ヤップの民話]ブネネの恋物語
http://suyap.exblog.jp/4675329/
2006-11-11T22:51:00+09:00
2009-11-28T20:23:51+09:00
2006-11-12T23:42:51+09:00
suyap
ヤップの民話
ある村の小道で出会った子供たちが、ブネネを捕まえていた。この鳥(Egretta sacra)は英語でPacific Reef Heron、日本語でクロサギといい、白色型と黒(灰)色型がある。ヤップ語のブネネは白色型だけを指し、灰色型は数がうんと少ないがコウと呼ばれている。また、この鳥にまつわる民話によって、ブネネがメスでコウがオスだと思っているヤップ人も多い。
ブネネもコウもヤップに一年中留まるものもいるが、毎年10月ころになると個体が増えるから、たぶん北の方から越冬にくるのものも多いのだろう。優雅な見かけのわりには動きが鈍い鳥で、こうして子供にも簡単に捕まってしまう。
子供たちに、この鳥をどうするのか聞くと、口々に「食べるのさあ」と言っていたが、はてさて本当だろうか?ヤップの誰に聞いても、「あんな痩せぽっちの鳥なんか、食えねえよ。それに奴らは死肉でもゴミでもなんでも食ってるからなあ」という。白い羽は、ときどき踊り手の頭飾りなどに使われる。
(後記)
ヤップでブネネと呼ばれる鳥にはもう1種類あって、Bubulcus ibisすなわちアマサギがそれ。現在、数としてはアマサギのほうが多いし、海岸から離れたところで見られるのはほとんどアマサギだろう。上に書いた「何でも食べる」「動きが鈍い」習性は、アマサギのもの。だから、この写真の鳥も、アマサギの可能性が高い。下のブネネの物語は、色の黒いコウが登場するから、クロサギの話かもしれない。
ブネネの恋物語
あるときブネネの娘の両親のところにコウの男がやってきて、娘をお嫁にしたいと願い出ました。
ところが、ブネネの娘はコウの男にちっとも魅力を感じませんでした。というのは、娘は格好の良いグンカンチョウの男に夢中だったからです。
やがてグンカンチョウが旅に出ることになり、ブネネの娘は母親が止めるのも聞かず、グンカンチョウと一緒に旅立っていきました。
グンカンチョウは高い空を遠くまで飛ぶ鳥です。ブネネはそんなに高く飛べませんから、娘はグンカンチョウの背中に必死でしがみついていました。
2回夜がきて、2回朝がきても、グンカンチョウは飛び続けます。高い空をものすごく速く飛ぶので、ブネネの娘はつかまっているのに精一杯でしたが、どんなに喉が渇いてお腹が空いても、グンカンチョウは娘にお構いなしで飛んでいました。
あんなに美しかったブネネの娘の白い羽は、輝きを失い少しずつ抜け落ちていきました。そうすると渇きや飢えに加えて寒さも襲ってきました。つかまっている手もしびれて気も遠くなりながら、ついにブネネの娘はグンカンチョウに言いました。「あたしを家に連れて帰ってください」
グンカンチョウはブネネの娘の家の近くまで戻ってくると、娘を高い空から放り出しました。娘がやっとの思いでたどり着いたのは海の中の漁礁でした。そのとき娘は、羽は抜け落ち身体もやせ衰えて、見るも哀れな姿になっていました。
そこにやってきたのは、まえに求婚してきたコウの男でした。コウは変わり果てた娘の姿を見ても気持ちを変えず、優しくいたわりサカナをたくさん持ってきてくれました。
コウのくれるサカナで元気を取り戻した娘は、やがてこの誠実なコウの男と結ばれて、一生幸せに暮しましたとさ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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