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ミクロネシアの小さな島・ヤップより

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カヌーが台船に乗って帰ってきた!

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1月26日にヤップからパラオに向けて出航したカヌー2艇は、きょう(2月5日)のお昼過ぎ、なんと台船に乗っかってパラオからヤップに戻ってきた!
(参照)
カヌーでちょっくらパラオまで
カヌーはパラオに到着!
1月29日の到着後たった数日のパラオ滞在で、2月1日にはすでに台船に乗って出航したというから、ずいぶん手際の良いことだ。

カヌーが台船に乗って帰ってきた!_a0043520_0343468.jpgそれでもヤップには詳しい状況はほとんど入って来ず、やれヤップデイまでには帆走で帰ってくるさだの、カヌーが修復不可能なほど壊れただの、パラオで直すだの、クルーだけ一度ヤップに飛行機で戻り、4月になって航海して戻るだの、いろんな憶測が流れていた。

一昨昨日、どうやらパラオからヤップに砂利や建設資材を運ぶ台船に乗って帰ってくるらしい-という話をわたしが聞いたときにはすでにパラオを出航していたわけだけど、その間あいにくお天気は下り坂で、きのうから嵐のできかけのような状況になってて、いくら台船とはいえ、ちょっと心配していた。
(左上は2月5日早朝の衛星写真で赤い矢印がパラオ>ヤップのコース。風は北東ときに15~ときに25ノット波高6m~?)

カヌーが台船に乗って帰ってきた!_a0043520_0351364.jpgだから、お昼前にようやく台船の姿が遠くに見えたときには、ほんとうにホッとした。

台船というのは、エンジンやプロペラなど推進機のついていない箱舟のような船で、むき出しで潮水をかぶってもかまわない砂利や砂、建築資材などを運ぶのに使われ、強力なタグボートに引かれて移動する。海が時化ているとタグボートからの切断とか転覆の危険も大きいので、フツーは人を乗せたりしない。今回は砂利の上に固定されたカヌーとともに、クルーはタグボートではなく台船に乗っかって帰ってきた。

カヌーが台船に乗って帰ってきた!_a0043520_036335.jpgこの台船+タグボートを運行しているのは、パラオのスランゲルという会社で、現在ヤップで建設中のFAA(米国航空局)出資の空港消防署や、空港エプロン修復工事用の砂利や資材を、月1くらいのペースでパラオから輸送している。

さあ、いよいよ接岸が始まるようだ。もっと近くに移動してみよう。

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場所はうちの店からも近い埋立地で、接岸が終了するやいなや、掘って盛り上げていた土を均して台船の乗降版が降ろされた。

カヌーが台船に乗って帰ってきた!_a0043520_0381293.jpg台船の接岸が終わると、タグボートは台船に横付けされた(トップが赤く塗られた船がタグボートです)。

いくらこんなところに接岸してもパラオは別の国なので、入国審査、税関、検疫のチェックが入る。それぞれの役所のオフィサー、それに今回は乗ってる人数が多いせいか、大勢のPOLICEシャツのお兄さんたちも、ぞくぞくと乗り込んだ。

カヌーが台船に乗って帰ってきた!_a0043520_039721.jpgいっぽう台船上のクルーたちは、つぎつぎに携行荷物をリレーし始めた。あれあれあれ~、すごい量の荷物!帰りは台船だから、積めるだけ積んじゃえってか?(笑)。

わたしのいた位置(タグボートの反対側)からは、離島製のカヌー、シメヨン・ホクレア号しか見えなかったが、一見どこも大きく破損した様子はない。

カヌーが台船に乗って帰ってきた!_a0043520_0395047.jpg台船の乗降板の上が仮設税関と化し、そこにどんどん荷物の山が積み上げられていく。ヤップの税関オフィサーはみなマジメなので、ラテックスのゴム手袋をした手で次々と荷物を開けて検査していたが、ときどきオウェッとのけぞってた。いったいあのアイスボックスには何が入ってたんだろう、臭い汚れた衣類でも入ってたのか?(笑)

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カヌーのクルーと荷物が去り、カヌーの前方に積まれた建材の搬出作業が始まった。鮮明な写真ではないが、奥のほうにヤップ島製のカヌー、マソー・メラム号が見える。破損の有無や程度はわからない。

そばにいた台船&タグボートの運航会社スランゲルの社員に、ちょろっと聞いてみた:

わたし:カヌーが壊れちゃったから台船で帰ってきたんだよね?
社員:いや、壊れちゃいない。海が荒れてるから運んであげたんだ。
わたし:でもヤップじゃ、どっちかのカヌーが大破しちゃったって話もあるけど。
社員:??壊れてるのかもしれないけど、たいしたことはないだろう。今は海が荒れてるから戻れないんだよ。

ヤップを出航したときの様子を書いた記事:カヌーでちょっくらパラオまででも書いたように、ヤップやパラオの海域の1月2月というのはまだ北東の貿易風が強すぎ、それに逆らって伝統カヌーで帰ってくる時期ではない。もしそれを強行したとしたら、一歩間違えば狂気とも言われかねない決断とわたしは表現した。

カヌーが何百キロも離れた島と島をつなぐ現役ツールであった時代には、このカヌーの構造に適した風になるまで時期を待ち、さらに天気を読み、出航した。絶対に〇〇に間に合わせるためとか、〇〇までに△△の実績を作るためとか、ましては××テレビのためだとか、そんな理由には縛られなかった(幸い、今回の航海には外国メディアは入っていないけど)。

以下はあくまでわたしの希望的推測だけど、
♯♯ 今回の航海を率いたTさんやFさんは、今の時期の風や海の状態が想像できない人たちではないので、もしかしたら、あらかじめスランゲルと台船の話がついていたのかもしれないな…それはそれで、良いことだと思う。ただそれを公にすることは憚られるので、いつ、どうやってパラオからヤップに帰ってくるの?という質問には、ゴニョゴニョだったのではないか?
♯♯ やはりTさんとしてはヤップデイまでに航海の実績を作りたかったのだろうな。本来は去年の10月までに行われるはずの遠洋航海が、(日本のテレビ取材も絡んで)ナビゲーターのS氏離脱を招き、大幅に狂ってしまった。さぞ悔しかったことだろう。
♯♯ スヤンゲルの台船の手配も何もなく、ままよ、行っちまえ!であったとしても、それはそれでOKだ。行きの波の状況も体験して、帰りは今の時期は無理ってのがわかっただろうし、運良く台船の出港が近いことを知って、迅速に便乗の交渉をした…賢明な判断だと思う。

わたしが一番恐れたのは、カヌーのことをほとんど知らないローカルや外国人が、今の時期でも帰ってこれる、ただし1ヶ月くらいかかるけどね、航海は問題ない!と声高に言い合っていたことだ。こういう風潮が強まると、海をよく知り、カヌーをよく知り、航海をよく知っている人でも、ううう、うん、航海は…できるさ、大丈夫さと言わざるをえなくなる。

そう、アゲンストの風でも航海はできる。しかし、大時化の海でタッキングのたびに重い帆のついた帆柱と大きな舵を、それぞれ反対側に持って走らなければならない操船を行うのは、常に非常な危険が伴うし、それが数週間も続くとなれば、クルーの体力、精神力の消耗も著しい。

一時的な時化に遭遇して数日のことなら乗り切れるカヌーの構造とクルーのスキルであっても、航海の最初から最後までそういう危険を続けなければならないという状況が最初からわかっていて遠路を乗り出すのは、狂気ですらなく、馬鹿である。

その馬鹿の論理が今後ヤップのカヌー航海復興運動を支配しないことを祈るばかりだ。そのためには、外国人やメディア、そしてそれらに影響されたローカルが、ショー的に特定の行為や人物を、特化して騒ぎ立てないことが大事だ。伝統カヌーでの遠洋航海は、この地域ではフツーの行為であって、ナビテーターやクルーは、現代的なヒーローでもなんでもないのだから。

そういう意味で、わたしは今回の航海で台船帰還を選択したリーダーとクルーに、心より拍手喝采したい。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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by suyap | 2009-02-05 23:22 | ヤップの伝統文化
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