ここんとこ毎日「潮」づけで、楽な海モノ記事ばかり書いているけど、心にド~ンとのしかかっていることがある。それは、ニホンがとんでもなく
民度許容性のない国へと転落していくのを見ている悲しさだ。はい、わたしにゃ関係のないことです。ニホンがどういう国になろうと、わたしはその流れに従わないし、ず~っと、思ったことを表現していくつもりだから。どんなことがあっても、たとえ檻に入れられようとも。キッパリ!
人を憎む、殺してやりたいほど憎む
思わずカーッときて殺してしまった
こんなことは、ニンゲン社会である限り、どこにでもありえる、起こりえること。そして、殺された側(死んでしまったヒトではなく、愛するものを奪われ残されたモノ)にも、同じ感情を産む。憎しみ、因縁の連鎖...
それらは、きわめて個人的なことだ。われわれ「自ら」が処理するべき問題だ。
間違っても、「国家」に自らの「復讐」を求めちゃいけない。
憎かったら、殺したいほど憎かったら、自らが殺人者となれ!
もし、そうすることでしか自らを救済できないのであれば。
国家=権力に、国家の構成要素である民を殺す権利を与えてはいけない。
絶対に、いけない。
いつからニホン人は、お上が自分を守ってくれる-と「信じ」られるほどノーテンキになってしまったんだ?
テレビや、新聞や、週刊誌や、漫画や、いろんなメディアが豊富なわりには、いや、それだからこそ、どんどん心の幅を失っていく人々とその社会。
学校に行かなくても、文字を知らなくても、じっとヒトと自然に接して生きれば、おのずからの生に対する倫理は身につく。そこんとこの基本が、失われてしまった、壊れたニホン。
その口から出るコトバは、実態を持たない空っぽなカスばかり。
カスともしらずに、カスにカスの上塗りをし、カス同士で「議論」とやらをやっている。
そんな心貧しい世相で、来年から裁判員制度が導入されようとしている。
しかも....
情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士
速記録は見られないけれど、大丈夫?…裁判員が参照できる証言はDVDなどのみ
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/
e/aaa00b4f553549372026733a22a58d06
かつて多くのニホン人は、「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」という法然サンや親鸞サンの言葉をちゃんと理解し受け入れるだけの知性があった。それは文化である。その文化をかなぐり捨てて、メディアの喧伝にのせられ、どんどん野蛮な国に成り果て、その行き着く先は...?
(追記)
歎異抄を久しぶりに(なん10年ぶりだろう!)読み返してみたら、こりゃまたなんと革命的な!(笑)。また、
松岡正剛さんの親鸞・唯円『歎異抄』1954 角川文庫梅原真隆 訳注の「要約」
瑞興寺の和尚さんの歎異抄「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」のコメント
がぶっとぶほど面白い。
歎異抄の全文は、こちらのサイトでも読めます:
歎異抄
歎異抄は、権威、権力にふんぞりかえるモノたちにとっては、まさにコワイ書物でありますなあ!と同時に、それらの権威、権力の側に身を置かないモノたちにとっては、精神的自立へのガイドブックともなる。中学生のとき読んでぶっ飛んだ気持ちを、今回もういちど新たにしましたデス。はい。(字句は忘れてても、そのぶっ飛んだ気持ちがずーっとわたしの人生のベースになってたことがわかったのも、嬉しかったなあ)
というわけで、以下は元通りのエンディング:
裁判員制度の導入に慎重でありたい。
※思いつくままを書いています。こういう表現についていけない方は、どうぞご退場ください。
<追記>
1) ゴンベイさんとノリタケさんにご指摘いただいたとおり、最初の稿は「民度」というコトバを多用していました。たしかに、これはマズイ....で、直しました。ご両人の「民度」についてのご指摘は、コメント欄を参照してください。
2) 「カルマ」としていた部分も、「因縁」に代えました。
3) 「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」の言いだしっぺに法然サンを加えました。
4) 歎異抄について、思いっきり追記しました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
よろしかったら
人気ブログランキング地域情報 &
にほんブログ村海外生活ブログにクリックを!
◆◇ヤップの情報はこちらでもどうぞ◇◆
http://www.naturesway.fm/index2.html
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆